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・「機動戦士ガンダム」(劇場版)総評

・物語
 このサイトでの考察を見てもお分かりのように、「機動戦士ガンダム」という物語はいくつもの物語が平行して展開し、これが複雑に絡み合っているのが特徴だ。
 ひとつめは主人公であるアムロや、アムロの乗艦「ホワイトベース」を中心とした戦記。これはこの「機動戦士ガンダム」という物語の主展開であることは言うまでもないだろう。「サイド7」が戦乱に巻き込まれ、ここから生命からがらに逃げ出してきた若者達がなし崩し的に現地徴用兵となり、「ガンダム」をはじめとする兵器を手にとって戦うという物語。最初は自衛以外に戦う意義を見つけられなかった若者達が、戦いを重ねるごとに戦う意義を見いだして成長して行く一種の冒険譚と言える物語だ。

 ふたつめはシャア(キャスバル)とセイラ(アルテイシア)の兄妹を中心にした、ジオン公国の裏歴史という部分。敵側で最初に出てくる司令官であるシャアと、味方側のヒロインの一人セイラを兄妹でしかも敵側陣営の創設者の忘れ形見と位置付け、劇中に描かれる戦争の前史を垣間見せると共に、暴走とも取れる行動を取る兄とそれに苦悩する妹の姿を描いている。またこの設定は物語の本筋に影響を及ぼすことも多く、特に敵側の名将であるランバ・ラル戦死はこの二人が兄妹でかつ敵側要人の子供だという展開をうまく利用したと思う。

 みっつめは宇宙生活による「人の革新」というものを描く「ニュータイプ」を軸にした展開。物語の中盤から「ニュータイプ」という存在を朧気に提示し、特に「めぐりあい宇宙」編では本筋(「ホワイトベース」中心の展開)と並立して進行させるという展開をとった。アムロの超人的な戦闘能力や適性を理由づけると共に、そのアムロと共感出来るララァという人物との出会いによってアムロに欠けているものが示唆され、その上で戦争の中で人がどうあるべきかというテーマに流れて行く。そして「人の革新」という掴み所のない物は、ラストシーンによって子供達が担っているというオチを付ける事で、物語のテーマとして上手く落ちたといえるだろう。

 そしてこれらの物語の背景に流れている、地球連邦軍対ジオン軍という戦史。実はこの「機動戦士ガンダム」という物語は、それまでのSFアニメと違って「主人公中心の物語」=「戦史」になっていないのが特徴であり、革命的な点であるのだ。それまでの多くのSFアニメは、正義の陣営が怪獣や異星人等の「悪の組織」に襲われ、正義のメカがそれを撃退するという勧善懲悪ストーリーが基本であった。これは「悪の組織」と「正義側陣営」の1対1の戦いとなり、劇中で描かれるのはその闘争における戦いの全てとなる。「それいけ!アンパンマン」だって「ジャムおじさん陣営」と「ばいきんまん陣営」による1対1の戦いで同じ構図になるし、「宇宙戦艦ヤマト」も「ガミラス」と「地球防衛軍」という組織の戦いではあるが、地球防衛軍陣営が「ヤマト」単艦で戦いに挑んでいるためやはり「主役艦の活躍」=「戦史」という構図となる。
 対して「機動戦士ガンダム」が描いている戦いはあくまでも「地球連邦軍」対「ジオン軍」という組織の戦争であり、劇中で描かれた主役艦「ホワイトベース」や主役機「ガンダム」の戦いはその戦争の一部でしかないという描かれ方である。しかも「哀戦士」編中盤までその主役達の戦いは「最前線」でもなければ「主戦力」でもなく、戦争の本体は別のところで行われているような描き方をされるのだ。つまり「ホワイトベース」や「ガンダム」による劇中での戦いは、その戦争の全てとはならない。
 これは戦争を題材とした実写映画と同じような構図だ。戦争映画では史実の「戦史」という背景があり、その中に主人公を中心とした物語を展開して行くという手法をとることが多い。恐らく「機動戦士ガンダム」も、「戦史」を設定として先に成立させてから主人公達の物語や他の物語をこれに当てはめていったのだと推察される。

 この物語の構図に近い物語は、当サイトで取り上げたアニメの中では「南の虹のルーシー」が挙げられる。この物語も「一家が農地を入手するまでの物語」という展開が一貫して背景に流れており、その上で主人公達のアデレードでの生活や、人々との関わりなどが背景とは無関係に描かれている。土地入手という家族の一致した目標があり、家族がそれに向かって力を合わせていることが背景に流れているからこそ他の物語が生きてくるのだ。「南の虹のルーシー」の背景部分がおざなりにされていたら、あそこまで素晴らしいアニメにはならなかったであろう。

 「機動戦士ガンダム」このように背景に流れている「戦史」部分がしっかりしているからこそ、他の物語が生きていると言っても過言ではないだろう。「戦争」という背景があり、その中で若者達が生きる意味、失った者達への思い、守るべきもの、「敵」の存在…これらがきちんと理由付けされて登場人物達の物語が生きてくるのだ。そこで描かれることは、「正義」というものが普遍的ではないことだ。
 勧善懲悪ものでは、主人公一人が「平和」とか「地球」という大きなものを守るために熱血的に一人で戦うという展開では「物語」が生きてこないことが多い。勧善懲悪も悪くはないし、小さな子供に「悪いことをすると懲らしめられる」とした上で「だからこそ清く正しく生きなければならない」というメッセージ分かり易く伝える手段として最も有効であると思う。だがその単純な構図で単純なメッセージを伝えるならせいぜい小学生低学年までだろう、それ以上の層に何かを伝えるには「物語」を見せて印象に残さねばならない。「平和」や「地球」を守る以上にもっと大切な何かを一人一人が持っているという事に、そのもっと大事な物を守ると言うことが「平和」や「地球」を守るための手段になると気付かせなければならないのだ。
 このような意味でのメッセージ性を「機動戦士ガンダム」は本来ロボットアニメの主視聴者層よりも少し上の世代に上手く伝えたと思う。そして当時「機動戦士ガンダム」を見た少年少女達がやがて大人になって、自分達には「平和」や「地球」以上に大切にしなければならないものがあり、「正義」というものが普遍的ではないと気付いたときにこの物語を思い出したに違いない。私もその一人だ。
 それこそ、このアニメが放映から30年を経た現在でも伝説となって語り継がれている理由なのではないかと私は考える。

・登場人物
 「機動戦士ガンダム」の登場人物は魅力ある人達が多い。「物語」の総評で論じた通り、それぞれのキャラクターが「戦争」という中で生きて行く意味や戦う意義を見いだし、守るべきものやキャラによっては野心というものがあることを明確に描き出している。この物語を見た多くの人にとって、「お気に入り」のキャラクターがあるだろう。私は(お色気を別にすれば)スレッガーのかっこよさと、ランバ・ラルの無骨さがたまらなく好きだ。どっちも自分には無いものを持っている「凛々しい男」として、私の脳裏に強く焼き付いている。女性キャラではやっぱりマチルダ中尉だ。

 また女性キャラを特に魅力的に描くことも忘れていないのがこの物語の特徴だ。その中で見ていると面白いのは、敵味方で女性の傾向がハッキリと区別されている点が面白い。連邦軍側の女性キャラは「母性」を強く感じさせるキャラが多い、しっかり者で面倒見の良いミライやお節介焼きのフラウといった辺りは典型だし、「物を作れるから補給部隊に入った」というマチルダもこの特徴のキャラに入るだろう。対してジオンの女性は「戦う女」という面を全面的に押し出している。女であることを忘れて戦っているキシリア、特定の男性を守ろうと銃を取ったララァ、生活を守るために何でもやったミハル…面白いのは連邦側にいつつも、実はジオンの忘れ形見という設定のセイラが「ジオンの女性」として性格付けられている点だ。セイラは前半では兄を捜すため、後半にはその兄を止めるために戦いに挑む女として描かれた。
 誤解の無いように言っておくが、連邦側の女性は「母性」だけではないし、ジオンの女性が「戦う」だけではない。ミライやフラウやマチルダも「戦う女性」としての面も描かれている。だが物語の展開上で目立つ面として考えると前述の通りと言うことなのだ。

 キャラクターの「若さ」という表現についても、大人になって見てみると非常に感心する点が多い。主人公アムロが十代半ばの少年にありがちな、我が儘、思い上がり、増長、暴走という面をキチンと描いて「カッコイイロボット乗り」ではないキャラとなったことで同年代の若者達から支持を得たのは多くの人がご存じと思う。「ホワイトベース」艦長であったブライトも二十歳前後の青年として、視野狭窄に陥ったり、立場にのぼせたり、恋愛で勇気が出せなかったりという面を見せてくれる。いつも冷静な敵に見えるシャアですら、自分の野望に溺れて増長する等の「若さ」を見せてくれる。ザビ家の兄姉なんかみんな「坊や」か「嬢や」なのも意図的に描いたものだろう。その多くのキャラが見せてくれるリアルな「若さ」という点は、当時の視聴者の中で大人になってから「自分もそうだ」思い当たった人が多いことだろう(私もその一人)。これも「機動戦士ガンダム」という物語が伝説的なアニメとなった理由の一つと考えられる。

 登場人物で画期的だったことは、アムロとフラウの関係だ。物語冒頭で一人暮らし同様の生活をするアムロの家に出入りし、食事を用意したりなどお節介焼きだった彼女の存在は、誰もが「主役の恋人役」として活躍するのだろうと感じることだろう。SFに限らず少年主役のアニメでは、恋愛関係にあろうが無かろうが「結ばれるべき主人公の恋人役」というのは大事な存在だ。のび太にはしずかがいて、カツオには花沢さんがいるように、アムロにはフラウと誰もが感じただろう。
 ところがこの二人は、物語が展開するにつれてどんどん離れて行くという男女を演じる。アムロは戦いの中でそれどころではなくなり、フラウは兵士として成長し戦果を挙げるアムロは「別世界の人」と感じるようになってしまったのだ。アムロは物語の最後の方でフラウの存在を思い出すが、その時にはフラウの心は完全にアムロから離れ、後続シリーズでフラウは別の人物(敢えて名は出さない)と結ばれることになる。
 このように物語冒頭で恋人同士のように描いた二人を、結果的に別れさせるという展開を取ったアニメは画期的だと私は感じていた。ロボットアニメで本格的に恋愛を取り入れた事自体が画期的だと言うことは、本文で述べた。

 さいごに「ホワイトベース」に乗り組む戦災孤児、カツ・レツ・キッカの存在である。年齢的でいえば小学生以下の幼児が戦艦に乗り込むという設定は不自然さが残ることは否めないが、その不自然さが「戦争」の光景としては似つかわしくない意外性を生み出した。ランバ・ラル部隊が「ホワイトベース」に特攻した時や、ミハルの前で3人が爆風に飛ばされるシーンなどはその代表例だ。兵士達は子供達の存在に驚き、ランバ・ラル部隊の兵士は一瞬攻撃を躊躇ってしまうという所帯臭さまで演じている。こうして「戦争」の持つ悲惨さを描くと同時に、敵もやはり「人間」であり心の中に優しい面を持っているという部分を描くために使われている。
 本来のこの3人の役割は、中高生向けとも言えるこの物語に本来の「ロボットアニメ」の視聴者層である小さな子供への対策だったと考えられる。画面に小さな子供を出して、時折この子供達の視線で戦いを見つめるシーンを入れたり子供達の活躍があることで、視聴者の小さな子供達が「画面の中に仲間がいる」と感じて感情移入出来るようにというキャラだったのだろう。
 だが最後にはこの3人、物語にオチをつけるという大役を果たすことになるのは本文に書いた通り。この3人の声優さんはミライ(カツ)・フラウ(レツ)・セイラ(キッカ)の人が演じていて、一部シーンではそれを頭に入れてみていると、それぞれの声優さんの一人二役の演技に唸ることも出来る(フラウと3人の会話は多いし、3人の台詞が一番多いラストシーンはその合間にミライやセイラの台詞が微妙なタイミングで入ってるし)。

 では、最後に名台詞欄登場回数をまとめてみた。ランキングは3作の合計で付けたが、1作ごとの集計も参考に乗せてみたのでご覧頂きたい。

名台詞登場頻度
順位 名前 回数 コメント
T U V 合計
アムロ 物語の主人公で多くの伝説的な台詞を残している。もっと紹介したい台詞は山ほどあるのだが、他のキャラとの釣り合いを考えると…。「悔しいけど、僕は男なんだな」という台詞は、当時小学生だった私の心を揺さぶった印象深い物だった。
シャア   アムロの好敵手として「哀戦士編」前半以外のほぼ全ての展開に登場していた。実は子供の時には全く覚えてなかったが、大人になって見ると印象に残った台詞は名台詞欄で紹介しなかった「認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちをいうものを」という台詞だ。
ランバ   「T」の終盤と「哀戦士編」前半で「ホワイトベース」を苦しめた敵将、自分にはないものをたくさん持っているこの男の活躍にしびれた。彼が最期に言い残した台詞は、今も昔も心に響いた。
カイ     アムロと同等の我が儘だった上、軟弱で自分の意志では戦わなかった男が、ミハルという少女一人の存在で大きく変わる。この名台詞欄で挙げた二つの台詞は、そんな彼の変化前と変化後という結果となった。特に変化後の台詞では、「正義」が普遍的ではないと言うことを教えられた。
ブライト     「ホワイトベース」艦長の彼がこのコーナーで名台詞欄に上がった台詞は、不器用で好きな女性に好きと言えないもどかしさを描いたものばかりだ。だがそんな彼が「ホワイトベース」の先頭に立って戦っている姿を記憶している人は多いことだろう。
スレッガー     「ホワイトベース」主要乗員の中で最もカッコイイのは、途中から乗り込んだこの男。サイド6でミライを叱りつけたあの台詞は、当時の私も「この男カッコイイ」と唸らせた。だからこそその最期が唐突にやってきたときは、驚いたし哀しくもあった。
ギレン     ジオン公国の事実上の主権者、この男の狂気に満ちた台詞はこの物語を大いに盛り上げたのは事実だ。やっぱり「T」のラストで演じられた演説に尽きる(名台詞としては取り上げなかったが)。
ナレーター     「機動戦士ガンダム」という物語に、伝説となった名解説を入れた波平さん。冒頭の舞台設定を説明する解説はも、物語への期待を誘う名解説だと思う。お台場で実物大「ガンダム」を目の当たりにしたとき、「人類が増えすぎた人口を…」と頭の中で再生された。
オスカ     「通常の3倍」の張本人だが、普段はあまり目立たない人。しかしいつもレーダー監視しているけど、当直体制とかないのか?
ワッケイン     「ホワイトベース」乗員の前では冷たい態度を取ったが、実は彼らのことを案じているという姿勢に劇場版では直された。彼の「寒い時代だと思わぬか?」という表現も今となっては伝説だろう。
ガルマ     彼は死の直前に多くの伝説的な台詞を残した。名台詞欄に挙げたもの以外に「謀ったな」も伝説的な台詞だろう。劇中では「坊や」として登場し、徹底的に「坊や」を演じ、最期は国のために死んだ彼の存在そのものも、このアニメの「伝説」のひとつだろう。
カマリア     アムロの母、子供が変わってしまった事で苦しむ姿を見事に演じた。彼女の姿を見ていると「子供の成長」というのは大事だが、親の立場としてみるとそうでない場合もあるとよく分かる。
セイラ     この人が1度しか名台詞に出ていないと言うのは意外だった。そう言えばフラウやミライもこの欄に名前が挙がってないんだよね。テレビアニメ版だとちょっと違う傾向になったと思うのだが。
マチルダ     マチルダさーん、マチルダさーん、マチルダさーん…。
ハモン     マチルダとは違う意味でのカッコイイ女性だったと思う。こんなきれいな女性に、あんな名台詞のような言葉を言われてみたい。
ミハル     ジオンのスパイとして利用され続けた少女が、最期に覚醒したあの台詞は心に染みた。赤毛でそばかすの少女って…でもしゃべり方はどっかの寄宿学院のメイドだったな。
ウッディ     「婚約者が守っていたから」という理由で、その戦艦をも愛してしまうというのは男だからこそだろう。そう、乗り物には生命が宿っていて、それを愛した者達の生命も吹き込まれているという思いを彼は演じたのだ。その気持ちは男だからこそ理解できるとと思う。
ドレン     兵達を怯えさせないために自分が潰れてはならない、そんな上官として当たり前にしなきゃならないことをああも生命掛けで出来るのだから凄い。会社でこの人が上司になったら一生ついて行く。
ララァ     「めぐりあい宇宙編」では圧倒的な存在感がある彼女だが、名台詞には恵まれていない。だがそのただ1回の名台詞には、女性としてのシャアを慕う気持ちがうまく演出されていて正直萌える。同じ人が数年後にアンネットをやったときの変わりようと言ったら…。
ドズル     この男の名台詞は、家族への優しさを敢えて隠して軍人としての死に様を優先させたものであった。最期の瞬間と比較してみると、「地位」と「戦場」は本来優しい男をも悪魔に変えてしまうという事が明確に描かれている。
ジオンの整備兵     名もない整備兵が「機動戦士ガンダム」終盤で最も有名な台詞を吐くことになるなんて…「あんなのは飾りです」だけなら伝説にならなかっただろう、「偉い人にはそれがわからんのです」がついたことで、彼は「機動戦士ガンダム」という伝説の表舞台に立つことが出来たのだ。

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