前ページ「愛の若草物語」トップへ次ページ

第21話 「発表!はりきりジョオの自信作」
名台詞 「あのね、明日の朝起きたら、みんな枕の下を見てね。私がクリスマスのささやかなプレゼントを用意したから。」
(メアリー)
名台詞度
★★★
 物語の最後、今年はクリスマスのプレゼントはやめにしようと宣言したはずのメアリーが娘達にこう言う。クリスマスプレゼントは無しと覚悟を決めていた姉妹は喜びより驚きの表情をする(エイミー除く)。そしてメグに「クリスマスプレゼントは中止では?」と問われると、母からのプレゼント位無いと…と返事をする。これを聞いて頷くエイミーの表情もいい。
 母からのクリスマスプレゼントって何だろう…?と原作を知らないでこの「愛の若草物語」を見ている人たちが非常に気になるように台詞回しも考えられていると思う。変にもったいぶるのでなく、かといって豪勢でないことも伝えられていて、母から何が贈られるのか知らない人は興味を持って次回の物語に引き込まれる。「愛の若草物語」ではわざとらしく話を引き延ばして次回まで待たせる展開は多いが、ここの母の台詞は自然で好きだ。本放送時の私も、嫌味を感じることなく純粋に次を楽しみにすることができたから…。
(次点というよりツッコミ)「なんでさっきからこの家の様子を伺っていたんだ!?」(ローリー)
…オマエモナー
名場面 1ドルの使い道を考える 名場面度
★★★★
 マーサが初めて来訪し姉妹全員がクリスマスプレゼントとして1ドルのお小遣いを貰う。そしてマーサが帰ると皆で1ドルをどう使うか期待に胸を膨らませて会話する。このシーンの最初、暖炉の前で寝転んで鼻歌を歌いながら紙幣を眺めるエイミーの表情がまずいい。
 ジョオが歩きながらお芝居風に高らかに「本を買う」と宣言すると、続いてエイミーは暖炉の前で寝転んだまま「フェバーの上等な色鉛筆を買う」と言う、「楽譜が欲しいわ、新しい楽譜…」とうっとりした表情で語るベス、メグはメグらしく「欲しい物がいっぱいあって迷っている」と言うが、最終的にはよく行く店に飾ってある帽子に落ち着く。
 「私たち、このところ全く贅沢というものをしていないんだもの、こういうチャンスにはせめて買いたいものを買わなくちゃ。」とジョオがオーバーアクション気味に言う、紙幣を見てニヤけるエイミー、それを見て微笑むメグ、うっとりモードのまま固まっているベス。そのベスのうっとりした表情の後ろにある上履きが、この姉妹の幸せそうな展開に変化を起こすことになる。
 母の帰りが近いことを悟ったベスは、この上履きを暖炉の前で暖めるのだ。これを見たジョオが上履きがかなり傷んでいることに気付く、そしてそろそろ買い直さねばとメグと会話するとベスが快活な声で割り込んできて「私、前から買い換えようと思っていたの、この1ドルで買うわ。」と言う。これを聞いたエイミーが「ダーメ、私が買う。」と1ドル紙幣をちらつかせながら言うと、「いいえ、こういうものを買うのは一番年上の私よ。」とそれが自然かのように言い、ジョオも負けずに「私が買ってあげたいな。」と横やりを入れる。するとエイミーが半身を起こしてジョオを睨む。するとベスが「みんなでひとつずつお母様にプレゼントしましょうよ」と意見すると、ジョオが「自分勝手はやめよう」とこれに賛同、エイミーの横やりはあったものの「それじゃまた考えが変わらないうちに、おば様から頂いたお金はお母様へのプレゼントに使うことに決定しましょう。」とメグが長女らしく上手くまとめる。ジョオは「賛成!」と立ち上がり、ベスは「もちろんそうするわ。」と答えるが、エイミーは相変わらず寝転んだまま紙幣を眺めている。「反対なの?」とジョオが問うと「だい・さん・せい・よ!」と答えたので方針は決定する。そしてジョオが新しい上履きを買い、メグは手袋、ベスはハンカチ、エイミーはオーデコロンと決まるのだ。
 このシーンは原作にかなり忠実だと言うことを、今回原作を読んでみて初めて知ったのだが、姉妹の性格が強く出ていて非常に気に入ったシーンである。会話の中でどうしても言い合いになるジョオとエイミー、新提案でもって言い合いを上手く回避させるベス、長女として物事をうまくまとめるメグという構図だけではない。その話かがまとまるまでに皆が自分勝手に自分の提案を出し、自分が一番美味しい役を取ろうとしている辺りもリアルで好きだ。兄妹がいる者にとってはどこか懐かしい感じがするシーンじゃないかなと私は思う。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→ジョオ
・物語展開上→4姉妹全員
今回は見事に姉妹全員が主役として恥ずかしくないよう演じていた。エイミーが我が儘を言えば笑わせてくれるし、ベスは優しさ溢れる台詞で視聴者と姉妹をも優しい気持ちにさせてくれる、ジョオは相変わらず激しい感情の起伏で皆を振り回し、メグはバラバラな性格の姉妹を長女としてうまくまとめる。今回は姉妹の中で誰が主役とは断定不可能だ。
・次回予告→エイミー…ネタバレが酷すぎる。ルーシーの時と違って腹がたつのは何でだろう? 回を重ねるごとに次回予告がサザエさん化してゆく…。
感想  エイミーの我が儘が鼻につくが、これはこれで可愛いと思えてしまうのはアニメキャラだからなんだろうな。エイミーみたいな少女がリアルでいたらちょっと面白いかも知れないと思っていたが、この回を改めて見たらあまりの我が儘にちょっとエイミーから視線を外した。こんな我が儘な娘だったっけ?
 マーサがマーチ家に来た。確かに狭い家って便利、客人が来ても迎えに行くのもすぐだからね。私も実家から2DKのアパートに引っ越してみてそれが一番身にしみた。実家だと間取りのせいもあって居間から玄関が遠かったのよ、1階の端と端同士だったからね。
 それと挙動不審のデーヴィットを捕まえたときのローリーだ。他人の家の前をうろついたり覗いたり怪しいぞとか言うけど、全く他人のこと言えないと思うぞ。もしデーヴィットじゃなくて本当に泥棒で、警察に「なんでキミは人影に気付いたのかね?」とか聞かれたら何て言い訳するつもりだったのだろう? とこれは本放送時の素朴な疑問である。相変わらず「世界名作劇場」を変な視線で見てるな。
 母にプレゼントをすると決めた4人もいい、何よりもその決定する過程も上手に描けている。エイミーが我が儘すぎる点を除けば、この話も私は大好きだ。
研究 ・原作のスタート地点
 この第21話後半は原作「若草物語」の第1章そのものである。原作の「若草物語」はクリスマスを目前にした姉妹が今年はクリスマスプレゼントが中止になったことを嘆き、自分たちが持っている1ドルを何に使うか考えるところから始まっている。原作ではなぜ姉妹が全員1ドルずつを平等に持っているかは語られなかったが、アニメではマーサからのお小遣いという設定が加わってリアルになっている。原作ではこの他にも色々と会話が続いているが、物語の展開はその会話の有無を別にしても原作と同様である。そしてジョオが母の上履きがボロボロな事に気付き、ベスがそれを買ってやるつもりだと言い、姉妹全員がその役を奪い合ってから全員が母にプレゼントするという方針で一致するのは、台詞回しも含めてアニメは原作を忠実に再現している。
 アニメでは母の帰宅で一度話が途切れるが、原作ではそのままクリスマスの芝居の練習になっているところが面白い。エイミーが倒れるシーンが上手に出来ないことは同じだが、この練習の途中でベスがパンを黒く焦がすという失態をやるのはこれまた笑える。そして最後、ベスはパンの続きを焼いていたつもりがよく見たら母の上履きを焼いていたという大爆笑シーンでこの練習が終わるのだ。
 アニメではベスは一緒に練習に参加しているが、私はこっちもベスのまた違う表情が出ているのでいいと思う。
 ちなみにアニメではクリスマスにも父からの手紙は無かったが、原作では父から手紙が届いていて皆で喜ぶシーンがある。ここから「巡礼遊び」というアニメでカットされた説教があるのだが…これに興味がある人は原作を読むように。私はアニメとして万人受けを狙うならば必要がないシーンと考えているので。

第22話 「おなかのすいたクリスマス」
名台詞 「取り替えてきたわ、オーデコロンの大瓶と。これならちょうど1ドルよ。そ、朝聖書を読んだの。そしたら私、急に自分のしたことが情けなくなって…おば様から頂いた1ドルを全部お母様へのプレゼントに使おうって約束したのに、昨日買ったオーデコロンは30セントだったの。自分のために70セントを使おうと思って残しておいたの。」
(エイミー)
名台詞度
★★★★
 母からのクリスマスプレゼントは姉妹全員表紙が色違いの聖書だった。朝起きて聖書を読む姉妹の中で、この効果が早速現れたのは末っ子のエイミーだった。エイミーは30セントのオーデコロンを母にプレゼントし、残りの70セントを着服するつもりだった(ただしエイミーはこの小瓶を買う際に大瓶と小瓶の中間はないかと店員に聞いている)。ところが聖書を少し読むと、すぐに着替えてプレゼントのオーデコロンを30セントの小瓶から1ドルの大瓶に交換してもらいに行ったのだ。
 帰ってきて家の食堂に飛び込んだエイミーの台詞がこれ、エイミーは自分がやろうとしていたことのずるさに気がついて情けなくなったのだ。しかも人に指摘されたのでなく自分で気がつく点が、4姉妹の中で物語本編中最初に成長が描かれた人物と言っても過言ではない。さらに言えば前回のエイミーの度を過ぎた我が儘さ加減はこの台詞に行き着くような伏線だったとも捉えることができる。
 このエイミーの台詞を聞いたジョオを真顔でエイミーに迫る。エイミーも視聴者もまたジョオが怒鳴るのかと思ってみていたら…今度のジョオはエイミーを抱きしめて誉めるのだ。メグもこれに倣ってエイミーを抱きしめ、ベスが「見直した」と言いながら取り替えてきた大瓶に花を刺す。今見ると涙が出てくるぜ…。
名場面 朝食をクリスマスプレゼントに… 名場面度
★★★★
 母が帰ってから朝食を、と思い朝食を先延ばしにして母の帰りを待っていた姉妹だが、帰ってきた母からフンメル一家の貧しい状況を聞かされ、そして母から朝食をフンメル一家へのプレゼントにしようと提案される。姉妹は全員驚きの表情を浮かべ、特に市街地の店まで1往復走ってきたばかりのエイミーは空腹のあまり腹を鳴らす。ジョオがスプーンに映る自分の顔を見てから「よかったわ、まだ手を付けていないうちに帰ってきて。」と明るい表情で言うと、。「私一緒に行って色んな物を運びます」とベスが続ける。その空気に逆らえなくなったエイミーは、「私がクリームとマフィンを持って行く…」と言いながらまた腹を鳴らして頬を赤く染める。そのエイミーに「また今度美味しいマフィンを焼きますからね」とフォローを入れるハンナが優しくていい。メグはもう食事を外に運び出す支度を始めていて「こんなで行きましょう」と平然と言う辺りが長女らしい。
 サブタイトルの通りのシーンが出来上がるきっかけなのだが、このシーンには母メアリーを始めとするハンナも含めた一家全員の優しさと愛が溢れていて好きなシーンだ。それだけではない、娘達は朝食をプレゼントに差し出すと瞬間的に決意するのでなく、ちょっと戸惑う時間を挟んでいるのだ。生活苦に喘ぐ一家を助けたい、それが母をも助けることになるという思いと、自分が空腹に苦しんでいるから早く朝食を食べたいという欲求の狭間に揺れ動く時間があるのがリアルで、かつ姉妹を偽善者として描くことのないように計算され尽くしている。特にジョオがスプーンに映る自分の顔を見ながら悩むシーンは秀逸、この時にジョオが悩みもせずに瞬間的に返事していたら…この姉妹を見る目はかなり変わっただろう。ちなみに原作でもジョオを1秒ほど悩んでから同じ返事をしている。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→エイミー
・物語展開上→エイミー
後半は姉妹全員が主役だが、前半は間違いなくエイミーが主役だろう。母からの贈り物の効果が一番最初に現れ、朝早くから母へのプレゼントを交換するために走り、姉妹で最初に成長を見せてくれる。そしてその後はひたすら腹を鳴らせまくる。身体を張ってのエイミーの活躍(?)でこのクリスマスのエピソードは面白さという要素が足されたのは間違いない。
・次回予告→エイミー…ありゃ、エイミー連チャン。ローレンスにお茶に呼ばれたのがそんなに嬉しいか? そこでベスの名が出る辺り、ベスは断ると見た…というのは当時の予想。
感想  前半は感動的な話目白押し、後半の姉妹が母にプレゼントを渡すシーンまでは感動的なシーンが続き、逆にしつこさまで感じるようになった。でもどう編集してもどれかを別の回に分けるって訳にもいかないんだよな。欧米人にとってのクリスマスって本当に特別な日だから、こういう風にめでたいことが重なってしまうのだろう。しかし、本放送時にこの話が放映されたのは梅雨に入るか入らないか位の季節だったのはしっかり覚えてる。さだまさしが真夏に発売したアルバムにクリスマスソングを収録したのと同じ位に違和感があって面白かった。夏にクリスマスを味わったんだから。
 この回は前半はエイミーの成長に尽きると思うし、クリスマスに一家が愛を振りまいて、夜になると逆にローレンスから愛を貰うという展開がなかなかいい。だけど原作ではマーチ家への魔法の食事(物語が違うぞ!)はローリーが思い付くのでなくローレンスの提案なんだよね。その魔法の食事への展開にアニメは大分苦労したと思う、研究欄で考察する「クリスマスのお芝居」をカットしてしまったのだから。あれだけの豪華な食事を、どうやって姉妹にバレないように運んだのか? という疑問が残るのだ。実はローレンス邸には身軽なインド人の召使いがいて、そのインド人が屋根裏部屋に届けさせていたとか…(だから話が違うって)。
研究 ・クリスマスのお芝居
 「若草物語」においてクリスマスの出来事と言えば、アニメで描かれた「おなかのすいたクリスマス」と、アニメではカットされたクリスマスのお芝居である。後者のクリスマスのお芝居については概要でも書いたとおりオープニングテーマの背景にも描かれており、また原作「若草物語」でも1・2を争う面白いシーンである(もうひとつの1・2を争う面白い話もカットされてるし…)。劇の内容はアニメのリハーサルシーンでだいたい想像が付くだろうし、原作を読めば完全に分かる(といっても面白いのは芝居の内容そのものではなくてお芝居中に起きる様々な「事件」なのだけど)のでここではそれを割愛し、なぜこのお芝居をカットしてしまったのか推理したい。
 結論を先に言ってしまえばアニメ化による設定変更で芝居をやること自体に無理が生じてしまったからというのが最大の理由と思う。
 原作ではこのクリスマスのお芝居に「1ダースほどのお嬢さんたち」を観客として迎える。客席には折りたたみ式のベッドを特等席として設け(←これ重要)、幕と幕の間(僅か4人でセットを作り直すのだからとても長い)には観客はキャンディを頬張りつつそれまでの演技を批評するのである。そしてセットが倒れたり(オープニングにある通り)、台詞を忘れたり、最後は特等席である折りたたみ式のベッドが突然に閉じて観客が消えてしまい、姉妹がこれを救出したところで大笑いのうちに幕を閉じる。
 この原作の内容とアニメと比較した場合、様々な問題が生じることは多くの人が感じるであろう。まずアニメでは観客に「1ダースのお嬢さんたち」を集められないことである。一家がニューコードにやってきてまだ数ヶ月、また姉妹には友人はそれほど多くなく、ベスに至っては全く出来ていない模様である。また家族での手製のお芝居に呼べる程の友人とすれば単なる友人ではなく、余程仲が良い人間でないとダメだろう。するとメグはパティとサリー程度だろうし、エイミーは一緒に隠れてキャンディを食べている3人程度。ジョオにはローリーとアンソニーという友人がいるが、本来ならばこのお芝居は男子禁制なので本気で姉妹の友人達を呼んでやるとなると彼らは呼べなくなるかも知れない。そこでローリーだけを相手に行う設定を取ろうとしたのだろう。
 ところがこのお芝居シーンは観客がたった一人ではお話にならないのだ、「1ダースのお嬢さん」の期待感や息づかいを感じるように原作は仕上がっており、観客が1人ではそのような場を盛り上げる要素が作れなくなってしまう。さらに言ってしまうと、折りたたみ式のベッドにローリー一人が挟まれても面白くも何とも無いだろう。また「事件」が起きたときに爆笑しているのがローリー一人では、やはり絵にならないだろう。
 この芝居シーンをやるには観客に10名程度の少女は必要不可欠で、観客にアンソニーを増やせばいいという問題ではない。ニューコードに引っ越してきて間もないという設定により、姉妹に女友達が非常に少なくなったという障壁はどうしても避けられなかったに違いないのだ。そしてこの設定変更は原作で最も面白いシーンの再現そのものを不可能にしてしまったことが制作側がキチンと理解し、中途半端にやって面白いシーンに泥を塗る位なら…とやめてしまったのではないかと私は推測する。つまり「愛の若草物語」の基本設定があのよあな形である限り、クリスマスのお芝居は諦めざるを得ないのだ。
 クリスマスの芝居を実現するなら、変に設定を変えないで最初から原作に忠実にするか、さもなくば一家がゲティスバーグにいる間にさっさと済ませてしまうべきだった。ゲティスバークでは教会のバザーが行われるって設定があったじゃないか、このバザーに乱入しての場を借りてこの芝居をやれば良かったのだ。観客席も家から折りたたみベッドを運んできて…今度は観客が増えすぎてダメか。

第23話「ベス!思いがけない贈り物に大喜び!!」
名台詞 「素晴らしい演奏と、素晴らしい音がした、お母様。私も、あんな風に弾けたらと思うわ。」
(ベス)
名台詞度
★★
 ジョオとエイミーがローレンスから茶に招待されて燐家にいたその頃、家にいたベスはその燐家から美しいピアノの音が聞こえるのに気付く。そして我を忘れて玄関前に飛び出してこれに聞き惚れるのだ。流れていたのはローリー演奏の「月光」だが、ベスは演奏者が誰であるか知る由もない。
 演奏が止まっても立ち尽くして隣家を見つめるベス、ちょうどそこへメアリーとメグが帰ってきてベスに何をしているのかを問う。この返事がこの台詞である。
 この言葉には家のピアノに対するささやかな不満、上等なピアノで演奏してみたいという欲求、そして何よりも演奏もその音を出しているピアノの音もとても美しく、居ても立ってもいられなかったベスの心と、この音に対する憧れが詰まっている。この短い台詞によく色んなものを詰め込んだと感心する。
 この台詞を言い切ったベスは、しばしミルキー・アンを抱きしめたまま寂しい顔をしたかと思うと家の中に駆け込んでしまう。その憧れに今の自分がどうしても届かないという現実も分かっているのだ。またジョオ達と一緒に茶の席へ行っていたら、ひょっとしたらそのピアノに触れられたかも知れないという後悔もあっただろう。
名場面 ローレンス来訪シーン 名場面度
★★★★
 夕食後のひとときをのんびり過ごす一家、ベスは昼間ローレンス邸を訪れたジョオとエイミーに燐家のピアノについて質問する。昼間に聞いた素晴らしいピアノの音、これが気になって仕方がないのだ。そして自分もこんなピアノが弾けたらと憧れたところに来客を示すベルの音が聞こえる。ジョオが玄関に出ると来客はローレンスであった。
 そしてローレンスはベスは誰かと訪ねる。緊張するベスにローレンスは構わず近づき、「ローリーからの伝言」としていつでもピアノを弾きに来て欲しいと告げる。突然の燐家からの申し出に ( ゚д゚)ポカーン とするベス、目を見合わせる一家。さらにローレンスはベスのピアノに対する誉め言葉を続けた後、「孫の申し出をお受け下さるかな?」とベスの肩を叩きながら問う。思わず嬉しい声が出るエイミー、ベスはまだ ( ゚д゚)ポカーン と固まったままだ。ジョオが返事を促すと我に返り、「あ、ありがとうございますぅ。喜んで弾かせていただきます。」と緊張したまま答えるベス。この言葉を聞くとローレンスは挨拶をして帰る。
 ミルキー・アンを抱いたまままた ( ゚д゚)ポカーン に戻るベス。姉たちが「良かったね」と声をかけると「夢…じゃないわね!」とやっと笑顔を見せる。そしてエイミーのナレーションで物語は終わる。
 序盤以来目立った動きの無かったベスが、やっと主役に引きずり出されて様々な表情を見せてくれるシーンだ。最初はローレンスが来た驚き、自分が名指しされた緊張、思いがけず嬉しい言葉を言われた次の驚き、最後は喜びという風にベスが次から次へと表情を変えて行くのだ。この表情の変化を見ていると彼女のピアノに対する執着が見て取れて、思わず視聴者もベスと一緒に喜んでしまう。そんなシーンとなって強く印象に残ったことだろう。
 また素直でないローレンスの描かれ方も好き。あくまでもローリーからの申し出という言い方は頑固爺らしくて良いじゃないか。このローレンスも憎めなくて好きだ。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→ベス
・物語展開上→ベス
物語そのものはエイミー視点で進むが、やはりこの回はベスの音楽好き、そして立派なピアノへの憧れがあってこそのもの。しかしベスのピアノが乱れると色々と影響があるんだな…。
・次回予告→メグ…浮いてる浮いてる…。
感想  「ベスとピアノ」編第一話。ここからベスとローレンスのピアノを通じた心の交流になんと4話も割くのだ。ちなみにここから4話は原作ではたった1章での出来事である。アニメでは「ベスとピアノ」編を中盤最大のヤマ場として丁寧に描いて、ベスとローレンスの人格を強調する展開となっている。今回はその第一話、ベスがローレンス邸のピアノを弾く理由が出来上がる回と見て良いだろう。
 物語展開自体は細かな設定以外は原作を踏襲しており、原作を知っている人ならばこの先の展開をどう描かれるかが楽しみだっただろう。何も知らなかった本放送当時の男子高校生は、ベスのピアノへの憧れが強調された時点で何らかの形でベスがこのピアノに触れる機会があるのだなと感じ、ラストでローレンスが来た時にこれでベスがローレンス邸のピアノを弾きに行ってめでたしめでたしで終わるエピソードだと思っていた。まさかこれが続いて行くとは…。
 またローリーのピアノに関する過去も聞いていてちょっと辛かった。ピアノを鉄道に置き換えたら…死んでやる−、俺は死んでやるぞーと当時の純粋鉄道バカの高校生は真剣に考えたものだ。
研究 ・ベスとピアノ
 ここからベスとローレンス邸のピアノを巡る話が4話続くことになる。次話は主題は違う物の基本的にこの話の続きでベスがローレンス邸に乗り込むまでを描くことになる。そして中盤最初のヤマ場へ向けて番組が盛り上がって行くのである。
 原作でもこの展開は同じだが、もっと完結に描かれていてアニメで4話もかけるような分量にはなっていない。ここはアニメではかなり話が膨らまされたと考えるべきだろう。細かな違いでは原作ではこの段階までにマーチ家とローレンス家の結びつきがかなり強くなっており、ベス以外の姉妹がかなり自由にローレンス邸に出入りしていたことにある(彼女らはローレンス邸を「至福の館」と読んでいる)。逆にローレンスも頻繁にマーチ家を訪れ、メアリーと話をして帰って行くという話も描かれている。その中でベスだけがこの燐家との付き合いの場に入って来れず、これを心配したローレンスが思い付いたのがピアノを自由に弾いて貰うという発想だった。
 この間にベスがジョオに連れられてローレンス邸を訪れたこともあり、ベスの性格を知らないローレンスが大声で会話をしようとした話がある。アニメのベスはただローレンスの顔が怖いから行きたくないという理由だったが、原作ベスはこれがトラウマになってローレンス邸に行けなくなったというれっきとした理由がある。ローレンスに大声で声掛けられたベスはそのまま逃げ帰り、二度とローレンス邸へ行かないと宣言したという。
 さらにローレンスがピアノを弾いて欲しいと提案するシーンも違う。原作ローレンスはマーチ家へ訪れて会話を音楽の話題にし、そこで「孫がピアノを弾かないから調子が狂わないよう誰かに弾いて欲しい」と依頼するのだ。そこでベスが出てきてローレンスの手を握って「大喜びです」と伝えると、ローレンスは前述の失敗を繰り返さぬようつとめて小さな声でベスに対応するのだ。そしてベスはローレンスに対する恐怖を克服し、それが嬉しいローレンスは以前にいた孫娘の話をすると帰って行くのだ。
 ベスとピアノの考察はまだ続く。

第24話「メグの小さな恋の始まり?」
名台詞 「僕はどんなに歳を取ったって、近頃の若い者はどうのこうのなんていう言い方は、しないつもりだ。」
(アンソニー)
名台詞度
★★★
 今回のニューコードタイムスでの会話なんて間を待たせるためのおまけみたいなものだが、その中にきらりと光る台詞がある。これがアンソニーのこの台詞だ。「近頃の若い者は無責任で困る」と愚痴るヘンリーを見て、ジョオにこういうのだ。
 ハッキリ言うが、こう言っているうちは若い証拠である。ある程度の歳を重ねた人間に何か言われて、このアンソニーと同じ誓いをした者は世の中多いはずだ。実は本放送時の私もそうだ、このアンソニーの台詞を聞いて激しく同意していた。歳を取ったら絶対に若い奴はなんてひとくくりにした批判をしない、若者の論理を理解できるようになるぞと。
 ところがどうだい、それから20年の月日を経た自分はそうはなっていないのだ。やはり年を経ると若者なんて頼りない存在にしか見えないのだ。でも現在の若者の精一杯生きているはずで、この歳になって見るとそんな事を思わせてくれる大事な台詞だと私は思う。
(次点)「ああいう音が出る楽器をピアノって言うんなら、これは何て言う楽器なんだろう?」(エイミー)
…隣のピアノのすばらしさと、家にあるピアノの違いをわかりやすく表現した台詞で好きだ。
名場面 燐家を怖がるベス 名場面度
★★
 前回、あのような素晴らしい展開でローレンス邸のピアノを自由に弾く権利を得たはずのベスが、今回の冒頭では相変わらず自分の家のピアノに向かってため息をついている。ここで前回を覚えている視聴者はこのベスに驚くはずだ、何で隣に行ってないの?と。
 そう視聴者が感じる頃にエイミー登場、エイミーが謎解きをしてくれるはずだと期待することになる。そして視聴者の思いを代弁してエイミーがベスに聞いてくれるのだ。最初ベスは「図々しくないかしら?」と建前を言うが、じきに「怖いのよ」と本音を言うようになる。さすがのベスも今まで行ったことがない家に単身乗り込む勇気が無いのだ。
 「ベスの内気なのには困ったわね」と一人前にため息をつく妹に、ベスは「一緒に行って欲しい」と頼む。妹に向かって「お願い」とまで言うのだ。そう言われるとやっぱりエイミーもローレンスが怖くて、結局は断る。ベスは妹を諦め、最も信頼している姉であるジョオに頼みに行くのだ。
 好きなピアノが手に届くのに、それが怖い場所にあって行けない。こんなベスの思いが上手に描かれていると思う。またこの後のベスが燐家のピアノを自由に弾いているシーンを思うと、彼女の成長を期待させてくれるようにも出来ていると思う。また視聴者のベスがどうやって燐家へ行くことを克服するかという期待を上手に引き出しているとも思う。その最初の会話の相手がメグやジョオでなく、妹のエイミーで一緒になって怖がるという寄り道をしてからジョオに話が行くというつくりで、視聴者は一度焦らされて今後のシーンに期待をするしかなくなるのだ。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→メグ
・物語展開上→ベス
サブタイトルはメグだけど、誰がどう見てもベスの話。遂にローレンス邸への立ち入りという壁を乗り越えて1ステップだけ成長するベス。でもピアノの前に座るともう周りのことは目に入らなくなってる、ジョオが帰ったことも、ブルックとメグとローリーが部屋に来たのも気付かない様子。
・次回予告→ベス…ベスの次回予告は落ち着いていていいなぁ。でもそのベスが珍しく次回予告で感情を露わに、ま、次回もベスの回だから…。
感想  「ローリーの小さな恋の始まり?」でもいいんでないの?と当時は思った。ローリーが明らかにジョオを意識するようになったのはこの辺りからだったと思うし。まぁ今回の話はベスがローレンス邸でピアノを弾き始めればあとはおまけみたいなもんだから、別に恋が始まるのはメグでもローリーでも誰でもいいわけで。サブタイトル自体が苦し紛れに付けられているようにも見える。
 でもニューコードタイムスでのヘンリーとアンソニーの会話は好きだ。本放送当時はアンソニーの台詞の方に同意すべき点が多かったが、今見るとヘンリーの台詞の方がよく分かるというのは面白い。やっぱ年を経た人間の言っている事なんて若い者には分からないし、若者の考えは年を経ると忘れるって感じなんだろうね。恐らく今の私の年齢がこの二人の真ん中辺位だと思うのだが、どっちかっていうとヘンリー寄りになっているのが面白い。たぶんあと5年早く見ていたらまた違った感想があっただろう。
 メグの話題が出ね〜。
研究 ・ベスとピアノ2
 「ベスとピアノ」編第二話、今回ベスは燐家の敷居をまたぐという最初の壁を乗り越える。そしてベスはローレンス邸で誰も顔を合わせないという歓迎を受け、もうローレンス邸のピアノをまるで自分のものであるかのように弾きまくるのである。
 実は今回の話は原作ではたった1ページ程度の話でしかない。原作ベスはジョオに同行を頼むことはなかったが、やはり燐家に入るのは勇気がいったようでマーチ家の玄関とローレンス邸の玄関を何度か往復したという。そして中に入ってピアノの前に立ってしまえば、それまでの恐怖は全て忘れて演奏に没頭したのはアニメが原作を引き継いだ点である。
 メグとブルックの出会いはまだここでは描かれないし、ニューコードタイムス自体が原作に出てこないので、原作とアニメを比較した場合今回進んだのは本当にわずか1ページ分でしかない。しかし、この「ベスとピアノ」編4話は1話ごとに起承転結の役割が与えられていて、前話でベスが燐家のピアノを弾くことを許される「起」、今回はこれを受けてベスがピアノを弾き始める「承」となっている。無論次話でベスがピアノを弾かせてもらえるお礼をする「転」の展開が待っており、第26話のベス最大の見せ場となる「結」へ話が転がって行くのである。ここの話の流れは見事なのは認めるが、なんか今回だけはそのテンポに合わせるため間延びしているような気がしてならない。

第25話「小説家ジョオの2ドルの傑作!」
名台詞 「ローレンスさんは、ベスの贈り物を心から喜んだようだ。と言うのは、それから三日ほど経って、みんながびっくりするようなことが起こったからだ。」
(エイミーのナレーション)
名台詞度
★★★★
 エイミーによる名解説の筆頭に挙げられるもののひとつであろう。この後に続くベスによる上ずった声の次回予告とセットで、このベスの贈り物がどんな出来事を引き起こすことになるのか、原作を知らぬ視聴者を引き込む事になる。
 そのために言葉や口調、それにローレンスの動きとのタイミング、全ての「間」が研究され尽くしているようにも感じる。ベスの次回予告も素晴らしいが、それ以上にこのエイミーのナレーションは次回への期待という点については優れた台詞だと思われる。
 私もこのエイミーのナレーションとベスの次回予告で、次回が楽しみでたまらなかった人間の一人だ。「ベスとピアノ」編の完結と、その終わりに何かとてつもない事が起こることを予感させられ、日曜日の夜が楽しみになった。
(次点)「私ベスよ、こ〜んなに嬉しい事ってあるかしら? 私どうしても、ローレンスさんにお礼を言わなくては。今すぐ! 次回『恐がりベスとお隣の老紳士』お楽しみに!」(ベスの次回予告)
…最後のエイミーの解説を受けてのベスのうわずった声での次回予告で視聴者は「何が起きるのだ?」と強烈に次回に引き込まれる。今回の流れではお礼を言うのはローレンスの方のはずなのに…背景の流れるベスが走ってローレンスの元へ走るシーンやベスの涙ももいいところを抜き出したと思う。「愛の若草物語」最高の次回予告と私は思う。
名場面 ローレンスがベスからのプレゼントを受け取る 名場面度
★★★★
 ある日、ベスはローレンス邸のピアノを弾く前にローリーに連れられてローレンスが帰ると真っ先に立ち寄る書斎にプレゼントを置く。プレゼントはベス手製の暖かい上履き、これを書斎のテーブルの上にそっと置くと、ベスはいつも通りピアノの演奏にかかるのだ。
 ピアノ演奏中に外出先から帰ってきたローレンスは、まず玄関でベスのピアノに笑顔を見せてから書斎へ向かう。いつも通り鞄を放り投げ、書斎の椅子に腰をかけるローレンスだが、程なく机の上の箱に気がつく。箱に乗せられた手紙を読むと驚きの表情を見せ、今度は丁寧にリボンを説いて箱を開くと…中から出てきた上履きに再度驚きの表情、そしてこれまでに見たことにない「ニタァーッ」という感じの笑顔を見せる。こんな表情のローレンスが見られるのはここだけではないかと思う。
 書斎で起きている出来事を想像しながらピアノを弾くベス、そのピアノの調べに会わせるかのように老紳士はこの上履きを早速履き、足に合うことが分かると笑顔で「うんうん」と頷く。そして窓辺に立って海を眺める、ここで名台詞欄のエイミーの解説が入る。最後はローレンスの足下へと視線が移動し、ベス手製の上履きが大写しになってこの物語が終わる。
 ローレンスの喜びが実に長く、かといってしつこくもなくストレートに描かれていて良いと思う。そして窓辺に立って海を眺めるローレンスを見て、この老紳士がこの返礼に何かとてつもないことをやらかすのではないかという期待感が見え隠れしている。視聴者がそれを感じる頃を見計らってすかさず名台詞欄のエイミーの解説が入るのは秀逸で、原作を知らぬ視聴者は次回の物語へ強烈に引き込まれて行くのだ。大きな感動が約束されていることも予感して…。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→ジョオ
・物語展開上→ベス
まだまだ続くベスの回。今回はピアノに夢中になるだけではなく、ピアノを弾かせてくれるローレンスへプレゼントをと考えて自分中心の物語を力強く進行させる。
・次回予告→ベス…(名台詞欄次点参照)
感想  「ベスとピアノ」編の第3話、私は本放送時にベスとピアノのエピソードについて4話でまとめたんだと予測できたのはこの回である。前話を受け、ベスがローレンスに贈り物をするという新展開に入り、その贈り物を受け取ったローレンスの反応を見れば次回で「ベスとピアノ」編が大きなヤマ場を迎えて終わる事を予測するのは簡単だ。そうして現にその予測通りに話が進もうとしている。
 今回もベスがローレンス邸でピアノを弾いているシーン以外はおまけみたいなものだろう。ただしジョオとエイミーがスケートを始めるのは今後の伏線として覚えておかねばならないのだが…すみません、私は本放送時にこの次のジョオとエイミーの一世一代の大喧嘩は全て見逃しています。
 でも本放送時からの感想として、本当にこの回は次回への引き込み方が上手だと感心する。これを見て次回が気にならない人間がいたら不思議だ。ベスとピアノの話がどう決着するのか、もう楽しみで楽しみで楽しみでたまらなかった高校2年生の男の子が私だったわけだ。
研究 ・ベスとピアノ3
 いよいよ起承転結の「転」の部分に入った。ベスは隣のローレンス邸のピアノに夢中になるが、その生粋の優しさは失われておらずにローレンスにピアノを弾かせてくれるお礼をしようと思い立つ。そして姉にお金を工面してもらい、三色スミレを縫い込んだ上履きをローレンスの書斎にそっと置いておくのだ。
 この物語も原作踏襲である。細かい部分は違う(ハンナが迎えに行くタイミングなど)が、ローリーやローレンスがベスのために色々気を遣うシーンは原作通りだ。
 ただ違うのは上履き制作費の出所である。アニメではジョオの原稿料で賄われているが、原作ではベスの優しい心に感動した母がこれを工面している。デザインはジョオとメグ。そして原作ではローレンスが朝起きてこないうちに、そのプレゼントを書斎の机に置いたとされている(アニメのローレンス外出中の方が流れとしては自然だと思うが)。それを見たときのローレンスの反応は原作では描かれていない。今回の話も原作では1ページ半の出来事である。小説版でも2ページにまとめられている。
 また今回の話の合間にジョオとエイミーがスケートを始める。原作を知っている人にとっては今後の展開でどうしても必要なものだと分かるだろう。ただ原作ではジョオもエイミーも元々スケートは上手だったという設定になっている。この変更についてはコンコードより温暖なゲティスバーグからやって来たばかりというアニメの設定ではやむを得なかっただろう。おかげで氷上で転びまくるジョオとエイミーが見られて楽しかったけど。

第26話「恐がりベスとお隣の老紳士」
名台詞 「私……私…………私、お礼に来たんです。だって、あんまり嬉しくって! ありがとう、おじいさま。」
(ベス)
名台詞度
★★★★★
 下記名場面シーンに続き、ローレンスにピアノの礼を言うためにローレンス邸に駆けて来る。ローレンスがいる書斎の前に立つと一度は緊張するが、思い切って扉を叩く。ローレンスの声がすると静かに扉を開けたベスだが、緊張で何も言えない。ローレンスは本を読んでいて来客が誰なのか気付かない、この間の長いこと長いこと。やっと来客がベスであると気付いたローレンスは驚きの表情を浮かべる。その驚きの表情のローレンスに向け、ベスはこの台詞を言ってローレンスにタックルをかますの胸に飛び込むのだ。そしてローレンスの頬にキスをする。その後しばし、ローレンスはベスを抱きしめて過ごす。
 これはあのベスがついにローレンスを克服したというだけでなく、ベスの喜びを見事に体現していると思う。そして母の「うまく礼を言えないと思う」という予測を裏切って、内気な自分をも乗り越えて怖いと思っていたおじいさまに見事お礼を言い切るのだ。またこの台詞を言うときの緊張と嬉しさが入り交じった見事な演技をした声優さんの力もこの台詞に磨きをかけている。これがベス最高の台詞なのは間違いないであろう。
名場面 ベスとピアノの初対面 名場面度
★★★★★
 今朝から姉妹の様子がおかしくて何かを隠されていることをベスはもう気付いている。今日はローレンス家に気を遣ってピアノを遠慮するつもりだったのに、姉妹だけでなく母やハンナまでも隣へ行ってピアノを弾いてこいと言う。そして帰り道に窓から手を振るエイミーが何が言うと、姉たちに無理矢理口を塞がれて引っ込まされる…怪しい、何かがあるはずなのだ。
 「どうもおかしいわ、私に何か隠してる…」と呟きながら居間に入るベスは、一家全員が部屋の隅に何かを隠すように立っているのを見つけ不思議な表情で見つめる。ジョオが「じゃじゃ〜ん!」と言うと一家は隠している物をベスに見せる。それはとても美しいピアノだった。ベスは「あ〜っ!」と驚きの声を上げる。そして「このピアノは…?」と疑問を投げかけると、母が「あなたのピアノよ、ベス。」と答える。ベスがまた不思議そうな表情を浮かべると、ジョオが「送り主から手紙よ、読んでご覧なさい。」とベスに促す。手紙を受け取ったベスが送り主の名を確認すると「あの人、世界で一番良いおじいさんよ!」と声をかける。ところが「幸せで倒れそう」というベスはジョオに手紙を読んでもらう。またこの手紙の内容が素晴らしい、10歳の少女に送る手紙とは思えない内容だ。
 ローレンスからの上履きに対する感謝の手紙を聞きながら喜びの涙を流すベスを見れば視聴者も涙を流すことだろう。母がローレンスの死んだ孫娘の話をすると、ベスは母に抱きついて喜びの涙を流し続ける。そしてピアノのすばらしさを語るメグ、手紙の内容にうっとりするエイミー。ハンナは力強く「この素敵なピアノの音を聞かせて下さい!」とベスに言う。ジョオが「弾いて」と言い、母は目で弾くようにベスを促すと、ベスは軽やかに演奏を始める。ところが演奏を中断して立ち上がり、「私おじいさまにお礼を言わなくては。」と言う。母の許しを貰うとベスはローレンスの元へ駆けて行くのだ。
 もう「愛の若草物語」で1・2を争う名場面であろう。その証拠に小説版のカラー口絵では見開き2ページも使ってこのシーンを掲載している。一家全員で自分に何か隠しているという疑心から始まったベスの表情は、みるみるうちに驚き、そして喜びへと変化して行く。そのベスが最も喜ぶ「若草物語」の名場面をアニメでも上手に再現したと思う。このベスの喜びの表現は、見ている者も嬉しくなってつい涙が出てくるだろう。
  
今回の主役
・サブタイトル表示→ベス
・物語展開上→ベス
文句なしのベスの回、「ベスを除いて話がある」でベスが喜ぶ何かを感じるだろう。今回のベスは優しさで始まり、疑心、喜び、感謝、と目まぐるしく表情を変えて物語に翻弄される。特にローレンスに対する恐怖を克服した瞬間は最高。
・次回予告→エイミー…じゃじゃ〜ん!っておい。でもジョオも今回の劇中で言ってたな。
感想  本放送時、泣いた、いやもう泣いた。テレビや映画で嬉しいシーンで泣いたのは私の人生史上始めてだ。自分の人生上で強い印象を残した台詞でもなく、主人公が悲しむシーンでもなく、ただピアノを貰って喜んでいるだけなのに泣いた。でもそこまでの上履きを贈った話もここで泣くために重要な要素だし、ベスが内気でローレンスを恐れていたというここまでの設定も、この物語を大いに盛り上げただろう。もう余計な事は書かない、とにかく感動した。
 しかし、最後の方のジョオとローリーのスケートのシーンは要らないと思った。あのピアノが届いて、ベスがローレンスにキチンとお礼が出来た感動の余韻を引きずったままエンディングに行きたかったよ。それでも次回予告でエイミーが「じゃじゃ〜ん!」と言えばそれまでか。
研究 ・ベスとピアノ4
 「ベスとピアノ」編が無事にまとまった。前回の「転」を受けて今回の「結」に話を転がしたのはローレンス。ベスが主役の4話だが最後に物語を転がすのはローレンスとなったわけだ。そのローレンスはピアノだけでなく、感動までも一家と視聴者に贈ってくれた。すごい。
 無論原作踏襲の物語である。原作ベスはローレンスに上履きを贈った後、贈り物を受け取ったという挨拶が来ないかと待っていたという。ところが3日目になっても何の音沙汰も無いので老紳士を怒らせてしまったと心配しつつお使いに出かけるのだ。お使いから戻ったベスを見つけた姉妹は窓越しにベスに早く帰ってこいと言うが、その中でエイミーがネタバラシしそうになって姉たちに口を塞がれるのはアニメも引き継いだ。ここからベスがピアノを弾き始めるまではアニメは原作に忠実である。ピアノを弾き終えたベスにジョオが冗談で「あなた、お礼に行かなくてはならないわよ」と言うと、ベスは「今すぐ行きます」と家を飛び出してローレンス邸へ走って行く、姉妹とハンナは驚いてその後ろ姿を見送る。
 ローレンスにお礼に行ったベスについては原作もアニメも同じ。ただし原作にはその後があり、ベスが帰宅する際にローレンスは家の前までベスを見送って別れの挨拶をしたというのだ。それを見たジョオは踊り、エイミーは驚きのあまり窓から落ちそうになり、メグは「この世の終わりが来た!」と叫ぶ(酷いぞ原作メグ)。この最後のシーンをアニメでもやって欲しかったなぁ。

第27話「学校でお仕置きされたエイミー!」
名台詞 「鞭で打たれた手も痛かったが、その後みんなの前に立たされた恥ずかしさで心がもっとひどく痛んだ。」
(エイミーのナレーション)
名台詞度
★★
 エイミーは先生に鞭で打たれた後、授業が終わるまで教壇に立たされる。そして友人達の哀れみの視線、告げ口をした当人の得意げな表情…唇を噛むエイミーの表情と合わせて、エイミーの心境を見事に再現していると思う。さすがにここを見ていると、先生はやり過ぎだと感じたなぁ。アニメではこの後の話のまとめ方がアレだったが。
名場面 エイミーが鞭で打たれる 名場面度
 もう、見てられない。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→エイミー
・物語展開上→エイミー
エイミーの一人舞台はいいが、今回の話は何が言いたいのかよく分からない。詳しくは感想欄にて。
・次回予告→メグ…珍しく次回の内容の全てを解説した次回予告のようだ。少し「サザエさん」路線から離れたってとこだ。
感想  本放送時の率直な感想は、この物語が何を言いたいのかサッパリって事かな。完全な一話完結なのでてっきり話数調整用のオリジナルストーリーなのかと思ってた、現に本放送時はこの回の翌週から特番などで何週間か休んでいるんだよね。今回の視聴のために原作を読み、エイミーがお仕置きされる話が原作から貰ったストーリーと知って本当に驚いた。それをアニメ化に当たってここまで改悪できるかなぁ?
 原作との比較は研究欄に回すとして、とにかく当時はこの回で何が言いたいのか分からなかった。禁制の品物を学校に持ち込んでお仕置きされたのはエイミーの自業自得だし、それでエイミーが学校を飛び出すのは体罰に対する抗議としては理解できるが、そこでローリーが出てきて説得されて学校に帰るだけ、しかも親兄弟には内緒なんてエイミーに取って都合の良いストーリーで終わってるのが理解できない。体罰は悪いがエイミーは正しいってか? いや、エイミーは叱られるべきであろう。
研究 ・ 
 この回の研究は批判点が多いので別窓にしました。ご覧になりたい方だけこちらをクリック

第28話「エイミー! なんてことするの!」
名台詞 「ジョオ・マーチ! おぼえていらっしゃい! 後で後悔するわよ!」
(エイミー)
名台詞度
★★★★★
 芝居に連れて行ってもらえなかったエイミーは部屋で泣き続け、いよいよローリーに連れられてメグとジョオが出発するときに階段を駆け下りて玄関の扉を開き、ジョオに向かってこの台詞を吐くのだ。
 エイミーの宣戦布告、もうそうとしか言いようがないだろう。この短い台詞にジョオに対する怒りと「思い知らせてやる」という思い…つまり仕返しの宣言が全て詰め込まれている。さらに声優さんの名演もあって迫力のある台詞に出来上がり、エイミーの怒りがさらに膨らんで視聴者に伝わり、何かとてつもない事件へと発展すると期待する。エイミー最高の名台詞だ。
 これを聞いたジョオは「何よ、下らない。」と呟いてさっさとソリに乗り込むが、相手がエイミーではこう軽く済ませていいはずがない。まぁ、引き返してエイミーに何か言える状況でもなかったが。
 この台詞、原作でもほぼそのままだ。
名場面 ジョオの小説原稿を暖炉に放り込むエイミー 名場面度
★★★★★
 さんざん頼み、最後には大泣きの末芝居に連れて行ってもらえなかったエイミーは、前回のお仕置き以上の屈辱を受ける。そしてジョオに何か仕返しをしてやろうと動き出すのだ。
 楽しく芝居見物のひとときを過ごすメグやジョオのシーンから一転して二階への階段を上がるエイミーの足が映る。「ジョオは私をバカにした、ジョオは私の願いを踏みにじった、許せない」…エイミー視線で書かれたジョオの部屋の様子…「どうしても許せない、ジョオ・マーチ」、これらの描かれ方が秀逸で何かとんでもない事件が起きそうな予感が走る。
 「どうしたらあいつに思い知らせてやれるか…多分これが一番だ」とエイミーはジョオの小説原稿を手にする。何をする気だ?と視聴者が思う間もなく暖炉の火が大写しとなり、その火の中に原稿が…マジか!と思うと恐ろしい顔をしたエイミーが、原稿を破っては火の中に放り込むシーンに切り替わる。この時のエイミーの顔は「世界名作劇場」史上有数の「怖い顔」で有名だ。「さあどうだ、ジョオ・マーチ。今頃後悔しても、もう後の祭りだよ」…怒りに歪むエイミーの顔が暖炉の炎に照らされ、エイミーの顔の怖さが倍増する。
 もう言うまでもない「愛の若草物語」の名場面、前々話のベスがピアノをプレゼントされるシーンと並ぶ傑作シーンだろう。
 ここではエイミーの屈辱と怒り、これが上手に再現されていて迫力のあるシーンに仕上がっている。暖炉に原稿を放り込むエイミーの表情のゆがみ具合も秀逸。どれだけの怒りが彼女を襲い、取り返しの付かない結果を引き起こすまでになったのか見ているだけで説得力のあるシーンだ。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→ジョオ
・物語展開上→エイミー
ここからはジョオとエイミーの大喧嘩だ。前半はジョオが中心だがこれはおまけみたいな物でしかなく、後半のエイミーが芝居に行きたいとタダをこねる事で物語が大きく動く。このエイミーの動きこそこの回の主役に相応しい。
・次回予告→ベス…今回のラストシーンを受けてジョオとエイミーの壮絶な喧嘩を思い起こさせる素晴らしい次回予告だ。また締めが「お楽しみに!」でなく「きっと見てね!」なのもポイント高し。
感想  「ジョオとエイミーの一世一代の大喧嘩」の最初である。ここから3話を費やしてジョオとエイミーは生命を掛けて(大げさではない)の大喧嘩へと発展するのだ。
 前話の研究(別窓)で書いたが、本放送時の私は第27話を最後にしばらく「愛の若草物語」視聴を中断し、次に見たのは第32話である。この辺りの面白い展開を丸々見逃していたのである。だから肝心なジョオとエイミーの大喧嘩については大人になってから見た感想しかない。
 前半は色んな意味で見ていて辛かった。何が辛かったってアンソニーである。アンソニーが芝居を自分の歓声だけで批判して女の子に嫌われるのは私も昔々に経験があったから見ていて辛かった。逆にうまく立ち回ってメグとジョオを芝居に誘うことに成功したローリーは羨ましすぎ、出かけるときは「両手に花」状態だし。
 あとはエイミーの我が儘具合とその後の怒りだろう。原作エイミーの年齢ではこの我が儘具合はちょっとと思うが、アニメの設定年齢が下げられたエイミーでは年相応の反応で自然で良い。そして最後のエイミーが暖炉に原稿を放り込むシーンは…本放送時に見なかったのを凄く後悔している。
研究 ・怒りのエイミー
 この展開も原作そのままである。ただしエイミーが姉たちが芝居に出かけると知るきっかけはかなり違う。アニメではベスに教えられるが、原作では出かけ支度しているメグとジョオにさんざん聞き回り、メグが扇子を持っていたことで芝居見物が目的と推理する。
 「自分で小遣いがあるから行く」というエイミーに対してジョオはアニメと同様に説得し、メグは厚着をさせて行かせようかと折れるのも原作同様である。いや、いちいち説明しなくてもこの先は台詞回しも間も含めて原作とアニメは全く同じだ。ただひとつ、原作ジョオは出かけ支度中に指に針を刺して、その怒りもエイミーに八つ当たりする。エイミーが「侮辱された」と感じるのはこの辺りもあるようだ。
 ただし、エイミーがジョオの原稿を暖炉に放り込むシーンは直接描かれていない。ここだけはアニメが原作の内容を膨らませて追加したシーンである。その部分がアニメでは名場面として多くの人に記憶されているのがこれまた皮肉なことだ。原作ではエイミーが名台詞欄に該当した台詞を吐き、ジョオ達が出かけてしまうともうアニメでは次話に当たるシーンへと流れて行く。
 ここは原作でも非常に面白い展開で、アニメでも殆どいじらずに面白い展開となったシーンである。原作の文章にもエイミーの悲しみや怒りが見事に表現されていて、読者を強烈に物語に引き込む部分である。あにめでもそうなっており、また話数をエイミーが原稿を暖炉に放り込んだところで切るのもなかなかいいつくりではないかと思う。もしエイミーが暖炉に原稿を放り込むシーンを次話へ持って行っていたら…かなり萎えた人は増えただろう。

第29話「死なないで!エイミーが川に落ちた!」
名台詞 「怒りを持ったまま明日を迎えるのは良くないわ、ジョオ。家族はお互い許し合い、助け合って、明日はまた新しくやり直しましょうよ。」
(メアリー)
名台詞度
★★★★
 ジョオとエイミーの大喧嘩の夜、床に入ったジョオにメアリーはそっとこの台詞を吐く。夕食時にエイミーが謝罪しても許さなかったジョオに、気持ちを切り替えてエイミーと接するように促すのだが。ジョオの返答は「許す価値はない」という激しいものだった。この言葉に落胆した母はすぐに部屋を出て行く。
 この母の思いは家庭の平和を守る上で重要だ。家族の母がこう思えるかどうか、そしてこれを実践できるかどうかでその家庭の平和度が決まると私は思う。母は家庭が平穏であって欲しいからこそ、この言葉の通りに常に行動し、子供達にもそうなるように願う。
 私にとってもこの台詞は深く胸に刺さった。本放送時にこの台詞を聞いていれば自分の教訓として大きく胸に残り、その後の人生上の失敗をいくつかしなくて済んだかも知れない。今この台詞を初めて聞いて心からそう思った。
 この台詞を吐くメアリーが観音様のように神々しく見えた。
(次点)「あんなつまらないお話なんか、もう絶対に帰ってこない。燃やしちゃったのよ〜! そうよ、燃やしちゃったのよ。だから返せないって言ったでしょ。」(エイミー)
…私がジョオだったら、こんな風に言われたらやっは許さないな。エイミーの中の小悪魔がこの台詞を言わせたに違いない。原稿を燃やしたという事実を知ったときのジョオの衝撃はもちろん、メアリーやベスの驚きの表情も秀逸だ。ジョオの怒りに震える演技も凄いが、この状況の小悪魔を上手に演出したエイミーの演技も凄いと思う。声優さんの力量もぶつかり合っているのだ。
名場面 エイミーが池に落ちる 名場面度
★★★★
 ジョオとローリーのスケートにメグやベスに仲直りの絶好のチャンスだと言われて渋々付いていったエイミーだが、ジョオと視線が合ったときに横を向かれたこともあって結局は一人で滑り出す。ジョオは相変わらずエイミーを相手にしようとしない態度を取るが、ローリーはもうこれ以上姉妹喧嘩を見ていられずにエイミーをジョオのところへ連れて行こうとする。それに気付いたエイミーはローリーからも逃げ、氷の薄い危険地帯へと突入してしまった。
 ローリーが「エイミー、ダメだ! そっちへ行っちゃ。氷が薄いんだ!」と叫ぶやいなや、エイミーの足下の氷に亀裂が走り、氷は割れてエイミーは川に落ちてしまう。まだ凍っている川だ、水温は0度以下だろうからすぐに助けないと取り返しが付かないことになる。
 助けを呼ぶエイミーに、エイミーを救助すべく走るローリー。そしてエイミーの叫びを聞いたジョオも振り返り、エイミーの元へ駆け寄ろうとする。ローリーがエイミーを助けようとするが、すぐにローリーの足下にも亀裂が入りこのままでは二重遭難は避けられない状態となる。ローリーが何とかエイミーの手を掴むとローリーの足下の氷も割れるが、何とかローリーは落ちずに済む。そこへジョオが接近するが、ローリーの「近付くな! 君も落ちるぞ!」との叫び声に慌てて止まるジョオ、そのジョオの足下にも亀裂が走る。万事休すの状態だ。「エイミー、大丈夫? しっかりして!」と、先ほどまであれほどエイミーを毛嫌いしていたジョオが思わず叫ぶ。ここが仲直りのポイントだろう。
 この万事休すの状態にローリーはジョオに木の棒を持ってくるように頼む。「分かったわ」と叫ぶジョオ、その間にもエイミーの身体は震え始め、寒いと訴え始める。懸命に励ますローリー。
 悪戦苦闘の末、木の枝を折ろうとするジョオだが、その間にもエイミーの身体は冷え続けてついには気を失いかける、必死にエイミーを呼び戻すローリー。ようやく枝を折ったジョオがエイミーの元に駆け付ける、その横顔の凛々しいこと…。ローリーはエイミーに枝に捕まるように促すが、エイミーは気を失ってしまい必死になって呼び戻す。気がついたエイミーが木の枝を持つとそれを引っ張るローリーとジョオ、引き上げ成功の直前にまた氷が割れてエイミーは水中に、「離すなエイミー!」と怒鳴るジョオ。やっとの事で引き上げると先ほどまで大喧嘩で口も聞かなかった姉妹は抱き合う。
 「若草物語」上で最も緊迫したエイミー転落シーンだが、その緊迫感と臨場感が上手に再現されていたと思う。このエイミーの遭難はジョオとの仲直りのきっかけを作るだけでなく、ジョオに自分の性格上の欠点を思い知らせて苦悩させることになる重要なシーンだ。喧嘩していても潜在的に気になる二人、それに気付かないふりをする二人が悲劇を起こし、自らその悲劇を乗り越えて互いの姉妹としての愛情を再確認する事件なのだ。
  
今回の主役
・サブタイトル表示→エイミー
・物語展開上→エイミー
ジョオを中心に話が回っているようにも見えるが、一番目立つのはなんと言っても殴られたり川に落ちたりと踏んだり蹴ったりのエイミーだろう。特に後半は生命が掛かったし…。
・次回予告→メグ…次回の後半はメグの話だが、それに一切触れず前半の予告だけ。「お楽しみに!」じゃなくて「必ず見てね!」なのも驚いた。
感想  とにかく前半はジョオの怒りに圧倒され、エイミーの心に住む小悪魔に魅了され、母の優しい言葉に感動するなど忙しい展開だった。この物語を本放送時に見ていたらまた感想はかなり違ったかも知れない。後半のスケートではもう仲直り寸前の気まずさが見事に表現されていて、兄妹のいる者にとっては何度か体験したことのある状況だったに違いない。普通なら何がきっかけで二人が仲直りするのか非常に気になるはずだが、この100%ネタバレのサブタイトルが良くない。初視聴が今回で原作で内容を知っていたから良かったものの、原作を知らない本放送時にこのサブタイトルを見ていたらまた見る気が萎えたことだろう。
 しかし、このサブタイトルは何とかならないものか? 私ならば「スケート」とかもっと無難なタイトルを付けてネタバレがないよう細心の注意を払うところだけどなぁ。
研究 ・エイミーの事故
 今回も完全に原作を踏襲している。特に前半の大喧嘩は原作にある迫力が前面に出ていて素晴らしい仕上がりとなっている。私はこのエピソードはアニメの「完結版」視聴で初めて知り、詳細はアニメより先に原作で知った。その中でも驚いたのはエイミーのスケート中の事故である。
 このシーンは原作を踏襲してはいるものの、設定上で大きな違いがある。ひとつはエイミーがジョオ達よりかなり遅れて川に着いた点。アニメではエイミーはジョオ達のすぐ後ろを付けていたが、原作ではジョオ達がスケート靴を履き終えて滑り始めたところでエイミーが川に到着する。
 もう一点はエイミーが転落するときの状況だ。アニメではローリーがエイミーを追っているときにエイミーが転落するので、現場のすぐそばにエイミーがいたという設定になっているが、原作ではエイミーが一人で滑っているときに転落する。エイミーが転落してからローリーが駆け付けるまでの間、ジョオは割れた氷の間に浮かぶフードを見て驚愕するシーンが挟まれている。ローリーを呼ぼうとしても立ちすくんで声が出ないジョオのすぐ脇を、ローリーは風のように過ぎ去って現場へ行くのだ。その後の展開は原作もアニメも同じだ。しかし立ちすくんでいるジョオの脇を風のように駆け抜けるローリーって、想像するとすごくカッコイイなぁ…。

第30話「ゴメンねと言えたらいいのに!」
名台詞 「あなたは自分の性質をとても悪いものだと思っているようだけど、お母様だって、ちょうどそんな風だったですのよ。私はそれを直すのに40年かかったわ。それでもまだ、やっとカッとなるのを抑えるだけ。お母様だって、毎日何かしら怒らない日はないのよ。理想はね、心から怒ることがないようになりたいと思っています。」
(メアリー)
名台詞度
★★★★
 エイミーを川に落としたのは自分だ、と後悔するジョオ。最初はメグが対処していたが、ジョオの後悔は自分では抑えきれないと判断したメグはエイミーの看病を交代して母にジョオのところへ行くように頼む。そしてジョオは母に自分の後悔を、そして自分の性格の悪い点を挙げてどうすればいいのかと苦悩して泣き出す。
 そんなジョオに母は優しく「そんなに後悔しているんですもの、神様だって許して下さる。」とジョオに説く、そしてこの台詞でジョオの心を優しく包み込むのだ。
 前回に続いて母がジョオに対してやさしく包み込むような台詞を言うのだが、前回はジョオが怒り心頭でそれを聞き入れるどころか突っぱねてしまう。だが今回はジョオの心が深く傷ついていることもあって、ジョオは素直にこれを聞き入れる。
 驚きなのはあの優しくて穏やかな母もいつも怒りの連続の日々を過ごしていること、若かりし日のメアリーがジョオみたいな性格だったという点だろう。でも人というのは変われるものだという教訓をこの台詞を含めたシーンに内包しており、自分の欠点について理解しているならば諦めてはいけないというメッセージ性もこの台詞で伝わってくる。この台詞も本放送時に聞きたかったもののひとつだ。
名場面 ジョオとエイミーの和解 名場面度
★★★★
 前話から派手な喧嘩をした姉妹、姉妹喧嘩としては「世界名作劇場」史上最大のものであったと言っていいだろう。そしてその大喧嘩もついに幕を閉じるときが来る。
 名台詞のように母に諭されたジョオはエイミーを看病する。目を覚ましたエイミーはジョオが看病していることに気付くが、しばらく気付かないまま寝たふりをする。そしてジョオのくしゃみでエイミーは遂にジョオの方を見る。慌てて口を押さえるジョオは「ごめん、起こしちゃった?」と聞くが、エイミーは「ううん、少し前から目を覚ましていたわ。ジョオがそばにいるなと思ってた。」と言う。まだぎこちない二人、ジョオが「エイミー」と声を掛けても言葉が続かない。そこでエイミーが「助けてくれてありがとう、ジョオ。」と手を差し出すと、ジョオはそのエイミーの手を握って「私意地悪だったわ、許してね、エイミー。」と許しを乞うと、「ううん、大事な原稿燃やしてしまって、本当に悪いと思っていたの。ずっと後悔してたわ。」とエイミーは言う。そして感動の抱擁、茶を持って入ってきた母がこの抱擁をホッとした目で見つめる。
 あの大喧嘩の終幕とは思えない穏やかな幕切れであった。エイミーが川に落ちるという事故を通じて、エイミーはジョオが自分のことを凄く気に掛けてくれる大事な姉であることに気付き、ジョオはエイミーがかけがえのない可愛い妹であることに気付く。そしていがみ合っている場合でもちゃんと互いが助け合える関係であることを理解し、これを確認して仲直りするのだ。この時の二人の涙は、互いがかけがえのない相手であることを示しているのだろう。
 そして茶を持って入ってきた母の笑顔は、二度と仲直りしないとまで宣言した二人が元通りになり、さらに深い絆で結ばれたことに安堵しているに違いない。母が出てくるタイミングやその表情も非常に素晴らしい。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→エイミー
・物語展開上→ジョオ
前半の自分の性格に苦悩するジョオを見ると「苦悩する主人公」という感じがして印象に残る。後半はメグが主役だが、メグのことについてマーサと話するなど目立つシーンも多し。主役はジョオで決まり。
・次回予告→ジョオ…なんだか話がよく見えない次回予告だ。
感想  前半ではジョオの様々な表情が見られる。驚愕、後悔、苦悩、安堵、感動といったところだろうか。ジョオとエイミーの大喧嘩は前話まではエイミー視点で描かれている場合が多かったような気がするが、今回はジョオの心境の変化をとことん描いたと思う。さらに完璧に見える母も、本人が自分で完璧でないと自覚していることや、何よりも昔はジョオのような性格だったと分かる点で、この母に対する評価がグッと上がった1話でもある。この回の前半だけでも物語の内容は非常に濃く、お腹いっぱいになれるであろう。
 え、後半? あまり印象に残らなかったな〜。今回の前後半の構成はメグが可哀想だ。仲直りの感動が冷めないうちに後半に入ってしまうため、どうしても後半の内容が印象に残らない。印象に残ったのはメグの荷物がびっくり箱になった点位だ。
研究 ・ 

前ページ「愛の若草物語」トップへ次ページ