「思ったこと」特別編

尼崎・脱線事故について思ったこと
〜JR福知山線脱線事故現場訪問記〜

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(事故発生直後に目次ページに出した声明文)
2005年4月25日朝に発生したJR西日本宝塚線(正式名称・福知山線)快速電車脱線事故により、
多くの尊い生命が失われた上、多くの人たちが重軽傷を負うという悲惨な結果になってしまいました。
特に死者数が106名を数え、負傷者が461名に達したという報道に驚くばかりです。

この事故で亡くなったあまりにも多くの方々のご冥福を祈るとともに、
けがをされた方々の一日も早い回復を願ってやみません。

私も鉄道好きな人間として今回の事故には大きなショックを受けております。
日常の中の通勤電車が大事故は、被害に遭われた方およびその周囲の方々から
様々なものを奪ってしまう事実をまざまざと見せつけました。
その様々なものを奪ったのが、我が愛すべき鉄道であったという事実に大きな衝撃を受けています。

また、今回の事故では電車に激突されたマンション住民の方々も多大な苦労をされていると思います。
鉄道の事故により住処を追われ、救助活動にその場を提供せざるを得ず、
財産である自動車を失った方が多いはずです。
マンションそのものも一部施設が破壊されているようだとも聞いております。
マンション住民の方々にはこれから補償交渉など、苦渋の道のりが待っているのではないかと思います。
尼崎市の「エフュージョン尼崎」にお住まいの方々に心より同情し心からの声援をお送りするとともに、
一日も早い住居の復旧と生活の再建を願っていることを
ほぼ同時期に完成したマンションの管理組合理事長として申し上げます。

そして、事故を起こしたJR西日本には今回の事故を大きな教訓とし、
警察機関の捜査結果ならぴに国土交通省の事故調査を真摯に受け止め、
二度とこのような悲惨な事故を起こさないような万全な対策をとることを、強く求めます。

2005年4月29日21時半加筆と修正 「はいじま」こと栗原 明

 2005年5月13日、仕事で大阪へ行ったのだが現地で時間が余ったので4月25日に発生した尼崎列車脱線事故現場へ足を運ぶことにした。
 朝ラッシュの東海道線快速電車の混雑に揉まれて尼崎駅に到着したのは朝8時。跨線橋に上がると事故現場になったマンションの上層階がすぐに目に入った。私は駅構内の地図で現地への道のりを確認して、そのマンションの方向へ向かって歩き始めた。
 歩道橋を渡るとすぐに住宅街に、小学校が近いのかランドセルを背負った子供達に囲まれて歩くことに。その中である一定の年齢の子供だけは必ずリュックサックに水筒という出で立ちで学校を目指している。確かに季節は遠足シーズン、緑の色が一番心地よい季節だ。
 その雨上がりの5月の真っ青に空の下、少し強めの風が吹いている。上空を旅客機が低空で通過する。普段なら心地よい風景であるが、このときの私は神妙な面もちであった。


 4月25日、私は職場でいつも通りの仕事をしていた。夏に大きな測定試験が決まり、その打ち合わせ資料を作るべくデスクワークの一日だった。
 第一報は誰かが言ってた「西日本でまた自動車と衝突事故らしい」という声だった。続いて妻から携帯メールで「福知山線で自動車とぶつかってマンションに激突」と入ってきた。最近も関西地方で自動車と列車が衝突する事故が起きたばかりだから、「またか…」と思いつつも、気になったので一時仕事の手を休めてネットニュースを見たのが10時半頃。
 画面に写し出された写真を見て唖然とした。マンションに激突し完全にひしゃげた車両と軌道上で横を向いている2両の車両を見た瞬間「ただごとではない」と思うと同時に瞬間的に「自動車との衝突じゃこんな事故にならない」と直感した。しかもニュースでは「自動車衝突ではない模様」とも書かれており、ひしゃげた車両の破損状況を見るとこれはかなり深刻な事態になっていることが瞬時に予測できた。
 その時はすぐに仕事に戻ったが、昼休みに本格的にネットに入り込むと、さらに衝撃的な画像を見る。
 この時、ニュースでは「死者2名を確認」と速報されていたが、続けて某巨大掲示板からのリンクで見た画像は衝撃的でそんな死者数名の生やさしい事故でないと瞬時に思い知らされた。現場から最初のテレビ画像のキャプチャー画像だったのだが、線路上には人の形に膨らみがあるビニールシートがあちらこちらにあり、その数だけの死者があることは間違いないと瞬時に判断できるものであった。別の画像では道路上に広げられたビニールシートの上に人々が寝かされている様子が映っていたが、その人々のどれを見ても寝かされているにしては不自然な姿勢であり、中には手や足があらぬ方向に向いていて生きていたら絶対無理な姿勢をとっている。
 とにかく驚いた。これは何十人もの人が一瞬にして鉄路に消えた、そう判断せざるを得なかった。信じたくないが私が愛する鉄道の上で多くの人々が生命を落としてしまった。そう理解するのに1分とかからなかった。
 その後は仕事の合間に情報収集である。事故を起こした電車は妻の実家の最寄り駅にも停車する、妻の家族が乗っている可能性はゼロではない(…結局乗っていなかったが)。その都度見るニュースでは予想通り、確認された死亡者の数がどんどん増えていった。鉄道好きとしては耳を塞ぎたくなる悪夢のカウントである。

 私がリアルタイムでニュースで見た鉄道事故、その中でも今回の事故が起きるまでは一番最悪だったのは信楽高原鉄道での列車正面衝突事故であった。死者42人を数えた悲劇のニュースを、背筋を凍らせながら見た記憶がある。事故が奪った様々なものを見せつけられ、鉄道好きの一人として心が痛んだ。
 その事故現場には、一去年の1月にようやく訪れる機会があった。所用で大阪まで車で行った帰りに時間が余ったので信楽を経由して帰ることに決めたのである。事故から10年以上の月日が過ぎても慰霊碑には花が添えられ、きれいに整備されていた。しかし、単線の生きた線路が酷道に寄り添う現場は、もう事故が嘘かのように静まり返っていた。
 その信楽事故は訪れた翌日に事故から丸14年を迎えた。

 大きな事故の現場と言えば七重浜の洞爺丸事故現場にも何度か足を運んだし、群馬県上野村山中の日航ジャンボ機墜落現場には4年前の夏へ足を運んだ。洞爺丸の事故現場では市街地が近い海岸というせいもあって今となると本当にそこが1000人もの人々が船と運命をともにした場所なのか?という気持ちに駆られる。
 ところが日航機事故の現場は人里から離れた山の中というせいもあって、人々の「死」がそのまま刻まれている。たくさんの墓標が並び、建てられた山小屋には数多くの遺品が納められ、この事故の大きさが「人間生活から隔離された山の中」という環境によってそのままに守られているのである。このような巨大事故の現場は珍しく、その現場状況がこの事故の大きさをそのまま物語っており、現在も事故に関わった人も関わらなかった人も問わずに多くの人を引き寄せ、多くの人が手を合わせている。
 鉄道に絞っていえば鶴見事故や三河島事故なんかは列車で何度も通過しているし、八高線の多摩川橋梁上での正面衝突事故現場は我が家からほんの数キロしか離れていない。これらの場所を通過しても、知識としてそれだけの大事故の現場と知っていても、その事故の爪痕を感じることはない。特に町中での事故の爪痕は「人間の生活」のために消されてしまっているのだ。



 住宅街の中を歩いていると前方に名神道の高架橋が見えてきた。頭にたたき込んだ地図を思い出してそろそろかと左に曲がる。辺りの風景が住宅街から工場街に変わる、工場といっても巨大なものではなく町工場レベルのものが殆ど。その工場の合間に新興住宅街があったりして街としてのバランスに不安を感じた。騒音とかの問題が多いんだろうなぁと感じると、突如として目の前にあのマンションが立ちはだかる。その脇には警備員に守られた踏切があった。

 踏切から北を見る。そこにはJRが用意した立派な献花台が設置されていた。何よりも犠牲者に礼を尽くさねばならない。私は献花台の前に立ちそっと手を合わせた。
 「安らかに…安らかに…」
 手を合わせると献花台の脇にいたJR社員にも「お疲れさま」の意を込めて頭を下げた。ずっと事故の対応をしていたのだろうか、目の下の腫れが痛々しい。

 献花台を離れて、現場となった一帯を少し歩いてみた。事故からまだ間もないのと路線自体が事故から運行再開していないせいもあって、線路際とは思えない異様な雰囲気が漂っていた。レールとまくら木は証拠品として全て没収されたのか、軌道上はバラストを残して何もなかった。そのバラストの道が続く軌道敷地を守るために、一定の間隔を置いて警備員が直立不動で立っていた。
 踏切を渡ると線路沿いに道が続く、傷ついた人々がたくさん倒れて野戦病院のような様になっている状況で何度もテレビに出てきた道路だ。沿道にある町工場の人たちが当日救護に駆けつけた人たちの勤め先なのだろう。ちょうど始業時間のようで朝の点呼や準備体操をしているのが見えた。
 線路を見ると、信号機の柱などが無惨にもねじ曲げられている向こうに突っ込まれたマンションが見えた。そこを見てまず驚いたのは、マンションと線路があまりにも近すぎることである。どれくらい近いかって隙間がなくて架線柱を建てられないほどで、マンションが最接近しているところでは架線柱が片持ちになっている。それほどに近い。
 その道路を歩いていると、前方に名神道の高架が迫ってきた。その高架橋の下で雨露をしのぐかのごとく、フロントガラスが粉々に割れた207系電車が止まっているのが見えた。事故を起こした列車の4両目である。私はその車両の前でも静かに手を合わせた。


 事故の第一報から事故原因は様々に推理されてきた。
 第一報では「自動車との衝突」と言われニュース画像にも衝突して大きく壊れた自動車が出てきたが、これは先に脱線した電車と衝突した自動車であるとすぐに分かった。確かに脱線現場より手前側には踏切はないし、自動車主因とすれば自動車が踏切もない線路内に柵を破って強引に入ってこねばならない。これはいくら何でも非現実的だ。

 次に出てきたのは「置き石説」である。特にJR西日本が粉砕痕を見つけたと報道したときは無知なマスコミに釣られて世論までも置き石説に傾いた。同時に現場カーブでは130km/h以上でないと脱線しないという根拠のない説までJR側が主張したのも相乗効果となった。
 しかし、私を含めて鉄道に知識がある者の殆どはこの置き石説を疑ってかかっていた。私の経験(構内運転による軽い脱線事故を見たことがある)から言うと脱線事故の現場には粉砕痕は付き物だ。どんな小さな脱線事故でも脱線時や直前の衝撃等で線路のバラストが線路に上がり粉砕痕はできる。ましてはあれほど大規模な事故なのだから、事故列車が脱線直前に何らかの衝撃力を軌道に与えていれば列車到達前にバラストが舞い上がる可能性もあるだろうし、また先頭車通過時に巻き上がったバラストを後続車両が踏む可能性もある。
 仮に置き石による粉砕痕だとしても事故を起こした列車が最初に置き石を踏んだとは考えられない。なぜなら時間的に無理だからである。前の列車との間隔は定刻で4分と報道されていた、この4分の間に犯人は踏切もない所で線路を隔てる柵を乗り越え、石を置いてまた柵を乗り越えて姿を消してなければならない。柵を乗り越えるという動作を考えると不可能だろう。現場は道路側から見れば柵以外に障害物はなく通る人から丸見えで、目撃者の「目」を考えると犯人はこの状況での犯行は踏みとどまるだろう。
 JR東日本で問題になったカラスによる置き石だとしても、カラスのくちばしで列車を脱線させる程の石をくわえられるとは考えられない。
 つまり置き石説自体がナンセンスで、理由はどうあれ事故直後に置き石へ原因を誘導しようとしたのは報道を混乱させただけだと思う。見方によっては事故を自己責任がないものにする工作とも受け取れる。警察や事故調がこのような説を報道するならともかく、事故当事者であるJR西日本がこのような発表をしたのは常識的に考えると許される行為ではない。

 そして現在言われていて最も説得力のある説は「速度超過」である。
 私は事故当日から「若干の速度超過による脱線」だと思っていた。あのカーブで脱線するなら130km/hも要らない。条件が揃えば90〜100km/h程度で十分で、あとは日比谷線事故の時に話題になったせり上がり脱線や乗り上がり脱線が高速度がきっかけで起きたと考えていた。
 しかし、原因はもっと単純でそれよりもっと高い110km/h弱の速度であのカーブを通過したことによって発生した遠心力で脱線、ということになってきているようだ。速度についてはいろんな報道があり、マスコミがインパクトを強くするためにわざわざ一番速度が高いところを報じるのでややこしくなってきているが。最高速度は126km/h、そこから走行抵抗により少し速度が落ち、運転士が速度超過に気づいて非常ブレーキをかけたときが108km/h、さらにそこから僅かにスピードが落ちたところで脱線と私は理解している。その高速度によって車体が遠心力でカーブ外側に大きく傾き、レールから外れてまっすぐ飛んでいったと言うことらしいのだ。
 最終的な事故原因については、警察や事故調の捜査や調査結果を待たねばならない。

 原因に至る背景、と言う問題もある。
 列車はオーバーランなどで2分近い遅延を出し、それを取り戻すために無茶な運転をしたと言う説がある。そしてそれは安全軽視で無理なダイヤを引いたJRに問題があるという論になるのだ。
 私はこれに異論を唱えたい。ではその無理なダイヤを要求しているのは誰だ?と言う問題がないのだ。
 なぜJR西日本があのような無理なダイヤを引いたのか、それはJR西日本の趣味ではなく顧客の要求だからだ。
 こう言うと「関西では私鉄との戦いが…」という論になり、その私鉄に勝って客を奪うためにJRが無理なダイヤを引いたんだからやっぱJRが悪い、という論になる。でもこれも私は違うと考える。
 JRが私鉄に対抗すべく、強引なダイヤでスピードアップをした。これは事実だ。
 結果、私鉄の利用客がJRに流れたというのも事実。
 つまり、ほんの僅かでも早く移動したいという要求が無意識のうちに我々乗客側にあったのではないか。もしスピードアップでも客が流れてこなかったら、恐らくJRは到達時間を変えずに停車駅を増やすという「次なる手段」は取らなかったと考えられるのである。スピードアップで客が来なくて私鉄の客を奪うことに失敗したら、例えばスピードアップは諦めて停車駅を増やすとか、低運賃化など他のサービスアップで対抗するなど別の手段を取ったと思うのである。スピードアップで客が流れてきた、つまり事故路線を始めとす路線における最大の顧客要求は「スピード」であってこれを維持しないと客数が維持できないと判断したのである。そして次なる「停車駅を増やす」というサービスアップを到達時間そのままで行う企画を実行し、顧客の満足度を維持しなければならなくなったのではないか?
 そして顧客の満足度を維持するために安全を置き去りにせざるを得なかった…例えば停車駅を増やすと決まったとき、JRが「ではその分目的地に着くのが少し遅くなります」と言ったら客は納得しなかっただろう、かといって停車駅を増やさなければ別の客は満足しなかっただろう別の客が満足できない。
 つまり、この事故の責任の一端は我々利用者側にもあると私は考える。

 過激な乗務員への教育制度、というのは今回の事故には繋がったと思うがこれはやむを得ない側面がある。
 大阪に限らず、大都市圏では1本の列車の遅れが複雑な路線網のダイヤ全体に響いてくるのだ。そして一つの歯車が狂うとその狂いはその地方全体に波及し、混乱は混乱を呼んで元に戻るのに多大な時間と労力が発生する。
 例えば事故を起こした列車が尼崎到着に遅れれば、それに接続する東海道線が遅れる。東海道線が遅れると京都や神戸方面へダイヤの乱れが波及し、北陸方面への長距離列車にも影響が出る。次に当該列車も東西線経由で片町線へ入ってゆくが、この片町線が松井山手から単線となる。この単線区間ですれ違い待ち合わせの対抗列車が遅れ、対抗列車の遅れは後続列車の遅れをも引き起こす。すると後続の木津行き列車が遅れて奈良線や関西本線に響いてくる。関西本線は大阪環状線に乗り入れているから、大阪環状線へと影響が波及して関西空港直通列車に遅れが拡がると和歌山方面まで響いてくることになる。
 これはあくまでも最悪の想定なのだが、JR西日本はこの恐怖と常に戦っているのは間違いない。だから乗務員にダイヤ運行を自覚させる締め付けが存在するのはやむを得ないと思う。その内容についてはいささかの問題があるようだが。
 ただ、安全確認のために列車を止めた運転士を処罰するのはどうか?とは思う。このような教育をマニュアル的にしかやっていないのであれば、それは教育としての意味をなさないからやるだけ無駄である。



 さて、私は事故車両をしはらくまじまじと見つめたあと、今度は逆に尼崎方向へ向けて歩いてみた。
 マンションの前を通り、踏切の方に目をやると踏切のすぐ向こうに見慣れた塗装の特急電車が止まっている。事故現場にさしかかりつつも間一髪で停車し、防護無線による発報で事故発生を知らせて二重遭難を防いだ特急「北近畿」である。
 人気のないまま本線上に止められた特急電車にはどことなく不気味な、廃墟を見ているような感覚にとらわれた。と思うとJRの乗務員を乗せたタクシーがやってきて、降りてきた乗務員が列車に乗り込んでいった。

 私は特急「北近畿」が現場手前で停止したことについては確かに間一髪とは思う。
 この「北近畿」の停止劇こそが、130年もの歴史を持つ日本の鉄道が育ててきた「安全」なのだ。
 日本の鉄道はこれまでに数々の悲劇を乗り越えてきた。そしてその都度、新しい安全設備を生み出して同じ事故が起こらないように努力してきた。しかし、その努力でもっても焦った運転士によって故意に暴走状態に陥った列車の脱線は防げなかった。
 しかし、その事故現場へ向かうすべての列車を止めることはできたのである。脱線転覆と同時に信号システムは破壊され、周囲の全ての信号機に注意以下の信号しか出さないようになった。信号システムが破壊された場合は必ず列車の速度を落としたり止めたりする方向に倒すのは、過去の事故が教えてくれた貴重な経験である。
 そしてその信号現示に従って速度を落とした「北近畿」が、脱線現場を目視して停止するのに時間も距離もかからなかった。そしてこれも過去の事故が生み出した安全装置である「防護無線」を作動させて周囲の列車全てに停止する合図を送った。それに従って事故車の後を追いかけていた快速列車も現場手前で停止し、脱線現場に別の列車が突っ込むという次の惨事を防ぐことができた。

 しかし、この過去の教訓が生かされて二重遭難を免れた裏にも残念な話はある。
 事故列車に乗客として乗り合わせていた乗務員が、何もせずに現場を立ち去ってしまったことである。
 過去の事故でも非番の鉄道員が列車防護に走った事故もある。事故が遭ったらまず最初に二重事故を防止し、その上で乗客の救護に当たるのが非番であれ鉄道員としての使命ではないか? 私だって乗務員や駅員といった檜舞台ではないが、鉄道で働く者としてこのような事故に巻き込まれたら協力を惜しまない覚悟はある。
 無論、その使命を事故によって大怪我をした者や死んでしまった者にまで課すつもりは毛頭ない。
 この乗り合わせた乗務員がやるべきことは、まずは事故状況の把握と最寄りへの通報だろう。乗務員が動けるかどうかを確認し、動けなさそうだったら代わりに二重衝突を防ぐために周囲の列車を止める行動もとらねばならない。今は防護無線の釦を押すだけでそれは完了するのだから…。
 そして二重事故の防止と通報を確認したら怪我人の救護、ただし二重事故防止の手配を取らないでいきなり救護活動へ行ってはならない。乗っていた乗客だけでなく、救護活動に協力する近隣住民をも危険な目に遭わせることになるからだ。鉄道員としてそのような人たちがこれ以上の事故に遭わないように手配をするのは、何よりも優先される。

 この件に乗じて、事故とは無関係の部署の社員が、事故を知りつつ遊びに行っていたという件については日記で前述したので、ここでは省略したい。



 現場の様子を一通り見て回り、最後にマンションを見上げた。
 屋上に着いている角のような飾りは尼崎駅からも見えたし、事故現場の空撮画像で何度も見た。それが今、目の前にある。
 先ほど、電車がぶつかった部分の傷跡を見た。正直言って思ったより傷は浅いと感じた。やはり阪神大震災の教訓を踏まえて作ったマンションだけに、柱の強度については問題ないだろう。中にはマンションの支柱に列車が直撃しなかったから、という論もあるがそれならばもっと傷は深くなっていてもいいのではないか?と感じる。
 そして私はこの事故が、このマンションの安全性をかえって証明してしまったようにも感じている。
 マンションの様子を見た。過半数がベランダから生活臭を感じない。しかし数軒は残って生活を続けているあろう事も同時に分かる、そのような家のベランダには鮮やかな緑色の植物がキチンと整理されて置かれている有様が伺え、さらに最上階の1軒のベランダには洗濯物が干されているのが見えた。

 私は自分が住むマンションで管理組合理事長という仕事をしている。この事故について鉄道好きで鉄道で働いているからという面でも気になるのだが、マンション管理組合理事長という視線でも気になるのである。
 マンション住民についてはマスコミも気になっているのだろう。考えてみれば分譲マンションが鉄道事故に巻き込まれて住民は無傷なのに列車に乗っていた人が大量に死んだり怪我をした、という事例は初めてかも知れない。テレビや新聞の報道でもマンション住民の様子は伝えられ、週刊誌などでも事故のもうひとつの被害者であるマンション住民を追っている。マスコミには大方同情されているようであるが、ネットなどで声を拾うとどうも一般視聴者…つまり世論の支持を得ることにここのマンション住民は失敗しているように見える。
 こういう被害に遭った場合、同情的になったマスコミを使って世論を味方に付けて交渉を有利に運ぶのは手段として正当化されるであろう。このマンション住民の場合、補償等の交渉は犠牲者遺族や負傷者が優先されて後回しになる可能性もあるし、何よりも事故を機にマンションを出ていくつもりであるならば、冷静に見れば見るほどそれなりの補償を得ることはできない。最高に有利に行っても事故直前の評価額+慰謝料でマンション購入時の定価額に届くかどうかである。少しでも多く補償金を取るならば世論操作は欠かせないが、余程な事がない限り世論が自動的に味方につく可能性が高い犠牲者や負傷者と違い、マンション住民は自分たちでそれを考え、実行しなきゃならない。
 ところがニュースを見ていると、このマンション住民達は「言ってはならないこと」を平気でカメラや記者のメモ帳の前でしゃべってしまっている。確かに彼らは被害者だが、この事故最大の被害者というわけではなくもっとひどい目に遭った人たちが大勢いる中での被害者であるということである。つまり犠牲者遺族と違い、公の場で「言って良いことと良くないこと」「やって良いことと良くないこと」が明確に分かれていて、そのひとつひとつが視聴者の厳しい視線に晒されているのである。

 まず、自分が住んでいて管理組合の理事長をやっているマンションで似たような事例が起きた場合を想定してみる。これは「マンションに列車が突っ込んだ」という一報を聞いたときから変わっていない自分の考えだ。
 事故の一報とともにすぐ現場に駆けつけ、呼べるだけの管理組合役員を召集して直ちに「事故対策本部」を作る。同時に自衛消防隊と在宅中の住民を中心に救護班を編成して消防の救助活動に協力を命じるとともに、激突現場付近の部屋に住む組合員に救護活動のための部屋の使用などを交渉し、問題のない部屋についてはすぐ警察と消防に通知する。
 救出活動と並行して子供やお年寄りなどの避難誘導、避難する住民の避難先の把握にも専用の人員を割いて割り当てることになるだろう。
 救出活動が一段落して消防のみに委ねられるようになったところで、臨時の理事会を召集して当面の方針について検討するだろう。
 救出活動や警察の捜索が終わるのを待って集められるだけの住民を集め、献花と黙祷という簡単な慰霊の儀を行う。慰霊の行事終了とともに理事役員に建物調査の専門チームを編成し、事故による建物の破損状況を施工主側から専門家にも来てもらった上で行う。同時に住民に対して今後の希望、事故を機に出てゆくのか留まるのかの調査も行う。
 建物の破損状況と住民の意向を把握したところで、事故当事者との交渉にはいるための方針決定のため臨時総会を招集。そこで交渉人を決めて交渉にはいると言うことになるだろう。

 さてここまで読んで、あのマンション住民が世論を味方に付けられなかった理由が見えてきた人もいるだろう。
 彼らがやり忘れてしまった事は、住民個人ではなくて管理組合等が主導となったマンション住民全体としての慰霊である。これがないまま交渉に入ると、例え本人達に慰霊の気持ちがあったとしても「あいつらには事故で死んだ人たちの事を無視して自分たちの補償しか考えていない」と第三者や犠牲者遺族に思われても仕方がないだろう。マンションの住民に対してあれだけマスコミか追い掛けているのだから、記者もカメラマンもいないときにこっそりやったとは信じられない。
 マンション住民は、そこで起きた事故とそれによる死者と向き合わねばならない。しかし、それを示す行動をとったようには見えないのだ。

 その前提の上で、彼らは「言ってはならないこと」「やってはいけないこと」をいくつか犯してしまった。
 「人がたくさん死んだ所で笑って暮らせない」という気持ちは理解できる、しかしこれは事故で亡くなった人が見ているかも知れないテレビのインタビューで言ってはならない言葉だと思う。さらにその言葉通りにとっとと荷物をまとめて他へ引っ越してしまう行動などは、事故で家族を亡くした遺族の神経を逆なでしていないだろうか?
 事故の死者は好きこのんであの場で死んだ訳ではない、なのにその御霊の存在を気味悪がって迷惑に考えているようにも見えてしまう。本人達にその気がなくても視聴者の視線ではそう映ることだろう。
 ここは「あそこでは暮らせない」と公の場で口に出すのは控えるべきだった思うし、引っ越しも止むに止まれるならば管理組合等が主導でマンション周辺からマスコミをシャットアウトして行うべきだったと思う。無論、マスコミの前での発言に注意するよう促すべきでもあっただろう。

 そしてある民放のニュースで信じられないインタビューを見てしまった。JRが用意した仮住居への引っ越しを終えた家族の事をニュースに流していたのだが、その子供が信じられない言葉を吐いた、「引っ越して自分の部屋が持てて良かった」みたいな事を口走ったのである。
 このような失言をそのまま垂れ流すマスコミも咎めない親もどうかしている、と私はそのニュースを見て感じた。子供が言うのだから…では通らない、それを止めるのが親の役割であり、大人ならば子供を叱った上で「今のはカットしてくれ」マスコミに頼むべきである。
 その時にこのマンション住民は事故による犠牲者遺族や負傷者、さらに世論までも敵に回したのではないかと感じた。曲解すれば事故で喜んでいる…そうい言われても仕方なく、これでは「被害者」として世論の同情を得られない。

 最近発売された週刊誌にはもっと酷い記事が出ている。これは記事内でマンション代表交渉人も認めたお墨付きなのだが、事故直後に「毎年恒例の子供の誕生祝い」として一家4人で6万円以上もするステーキを食べ、そのうち1万円を避難中の食費として請求し、JRはそれを支払ったというのだ。
 この記事を見て呆れてものが言えなかった。これは完全に「たかり」で、正当な避難中の食事の範疇を越えているだけでなく、誕生祝いという私的行事を事故補償で行ったという。しかも、「単なる噂」でなくマンション住民代表自らが語ったことなのだから…本当に彼らは世論を味方に付けておく重要性を考えていないようだ。

 しかし、あのマンションはそのような住民ばかりではない。
 前述したが私が現場を訪れてマンションを眺めたとき、数軒は人が今そこで生活していると判断できた。そのうち1軒はベランダに洗濯物が干してあって、まさに今そこで人の営みが続いているということが間違いない状況だった。
 新聞ではマンション住民の内2世帯がマンションに住み続けたいという意向を持っていると報道されていた。うち1軒は「事故で亡くなった人を供養しながらこの地に留まりたい」という旨のコメントを残している。私はこの感覚の方が正常な気がしてならない。
 こう言うことをあるネット掲示板で話したら、「じゃあお前があのマンション住民だったらそこに住めるのか?」という意見を頂いた。
 その返事は「Yes」である。
 まずどんな場所にしろ、「家を買う」という行為はそれなりの決断と覚悟でもって自分の仮住まいでない永住の地を決めた事である。そして何よりも一度買ったら買い直しがきかない。
 また住めば近所の人との付き合いも生じ、その土地そのものに愛着ができる。するとその土地を簡単に離れることはできないだろう。
 そこへの大事故、そして多くの犠牲者についてはそれは運命と考えるしかない。その運命を背負ってその犠牲者を供養するしかない。そして悲惨な事故の記憶を守っていくのが住む者の運命であろう。
 事故や事故の犠牲者と正面から向き合うと言うことはそう言うことで、それはその地に住む者の使命と考える。現実と向き合った上で「あの場に住めない」と結論を出して出てゆく、と言うのであれば批判はしない。でも向き合わずに現実から逃げるのでは事故の犠牲者にあまりにも失礼である。

 それくらいの決断や覚悟というものを、彼らが家を買うときには持たなかったのか?
 そして今住んでいるマンションや土地に「愛着」はないのだろうか?
 これはあのマンション住民に問うてみたい最大の疑問である。



 マンションを眺めていると、驚いたのは見覚えのある制服を着た人が中から出てきた。
 私が住むマンションにいる管理人と同じ制服を着ているのである。うちのマンションの管理を請け負っているのと同じ会社の管理物件のようだ。後日うちのマンションの担当者にその話をしたら「関西支社は大変なんです…」と言っていた。

 マンションを眺めて、もう一度最初の踏切に戻って献花台越しに現場を眺めた。
 そしてこの地に散った人々に思いを馳せた。通勤や通学の途中、様々な日常の所用の途中、誰もが起きるわけがないと思っていた事故に遭遇し、ある者はそこで命を落とし、ある者は大きな負傷を追い、ある者は奇跡的に無傷で生還した。その数はざっと600名前後、誰も乗ってい列車が歴史的な鉄道事故を起こすとは思っていなかったはずだ。ましてや鉄道を利用していて死ぬなんて誰も思わなかっただろう。
 鉄道利用はこのような都市部においては、日常生活の一部であり誰も事故を起こすなんて考えない。統計の結果だけで言えば、鉄道に乗っての移動中に事故に遭って怪我をする可能性は、歩行中に自動車に轢かれるよりも確率は低い。ましてや鉄道利用中に生命を落とすなどというのはもう天文学的な確率であり、誰もが鉄道が事故を起こすわけがないというのは常識的に考え、危険なんてあまり考えていなかっただろう。
 そのような交通機関で命を落とした人たちとその近親者、大きな怪我をした人たちの失望と怒りは当事者でない我々の想像を越えるであろう。その思いに答えるとすれば、鉄道の仕事で生きている我々としては絶対に繰り返さないと誓うくらいしかできない。
 その答えが良い意味で出るときなんか来ないかも知れない。悪い方向で答えを出すのは簡単だ、同じ事を繰り返せばいい。しかし、この事故の教訓が活かされて無事故であるという事実は決して報道されない。それが当たり前であってわざわざニュースで流す意味がないからだ。
 そのニュースで流す意味がない「当たり前」を我々は作って行かねばならない。そう、誓ってもう一度献花台へ手を合わせようと思ったとき、踏切の脇に小さな祠が建っているのを見つけた。祠の中にはお地蔵様がいるようだ。
 この踏切で過去に何らかの事故があったのだろう、そして以来ずっとこの踏切を見守ってきたのだろう。そして脱線事故が置き、その事故の犠牲者に手を合わせに来た人たちにも発見されたのだろう、こちらにもいくつかの花が添えられている。
 私はこの祠に手を合わせた。

 脱線事故直後の4月30日、私が運転する自家用車が事故を起こした。
 私が交通事故を起こしたのは正直に言うと三度目である。うち最初の2回は自分の些細なミスがきっかけで他人の自動車を傷つけてしまい、保険を使ったとはいえかなりの額の修理費を負担することとなった。
 今回は日記でも前述したが、後続バイクに追突されたというものである。
 皮肉なことに、過去2回の事故が私の前方不注意が原因で起きている。私はこの事故に反省して前方の注意に怠りがないよう気を付け、やっとその成果が出たところで今回の事故となったわけだ。前方に気を付け数台前の車の突然の減速、という事態には対処できたが後ろへの注意力が緩慢になっていたと。
 確かに状況的には私が後ろから接近するバイクに気付いたとしても避けようはなかったかも知れない。前には別の停止していた車がいたのだし、横にも逃げようがなかったかも知れないが。後部座席の乗員を守る咄嗟の工夫はできたかも知れないと思うとやはり残念である。
 小さな私の交通事故と今回の大きな脱線事故、比較のしようはないはずだが重ね合わせて見られる点も数多く、教訓として得られるところはあるはずだと思案している。
 愛車は事故から3週間以上を経て23日に帰ってくる。この間に自動車を持たない生活をしてみて、いろいろ思ったこともあるがそれは別の機会に記したい。



 私が事故現場を立ち去ったのは9時少し前だった。小一時間事故現場周辺を歩いていたことになる。
 現場を少し離れると、いつも通りの人々の「日常」が続いていた。その日常生活の中を、非日常の存在である私が通り抜けてゆく。そうしてここを通り過ぎてあの現場へ足を運んだ人はどれだけいたのだろう?
 尼崎駅へ戻り、跨線橋から今行って来たマンションをもう一度振り返って見た。今度は列車で通り抜けることになるのか?とふと思った。
 列車運行はまだ止まったままだが、いつかは運行を再開することになるだろう。そして時が過ぎれば列車は何事もなかったようにあの現場を通り過ぎるようになり、全てが日常へと戻っていくのだろう。
 しかし、事故で傷ついた人たちにはもう元に戻れない、列車の運行が元通りになっても失ったものを胸に抱きながら、生き続けてゆくしかないのである。それを思った瞬間、また事故直後の胸の痛みが戻ってきた。
 私は仕事へ向かうべく東西線の電車に乗り込むことにした。列車案内板に出ていた表示は「9:21 快速 同志社前」であった。奇しくも事故を起こした時刻の列車である。
 車内にはいつもと変わらぬであろう、朝ラッシュピーク後の賑わいがあった。

 大阪での仕事を終え、東京へ帰るべく乗った新幹線は「のぞみ148号」。この列車が小さな事故を起こした。
 名古屋を発車して最高速度で巡航中、まもなく三河安城を通過かと思った瞬間に突如減速を始めた。最初は軌道工事に関わる速度制限で減速したかと思っていたら、みるみるうちに速度は落ちて停車してしまった。速度が落ちるとともにブレーキ力がだんだん強くなったように感じる新幹線の緊急停止を、私は初めて経験した。
 「先頭車で異常な音を検知したため緊急停止しました、只今点検中ですのでしばらくお待ちを…」とアナウンスが流れた。隣に腰掛けていたおっさんが「あんな事故になるより遅れた方がいいわ」と独り言を言っていた。停止の瞬間は車内に多少のざわつきがあった以外は、停車中もいつも通りの車内であった。ある者はひたすら眠り、ある者はつまみを喰いながら酒類を呑み、ある者は本や雑誌を読み、ある者は私のようにぼうっと外を見ている。危険な事故になるんじゃないかと身構えている人は誰もいない。
 緊急停止から15分、「異常な音の原因ですが、高速走行中に先頭車に鳥が衝突したものと判明しました、安全上の問題はありませんのでまもなく発車いたします。お急ぎの所列車が遅れまして申し訳ありません…」とアナウンスが流れた。車内は安堵の空気が流れた。この安堵の空気は「危険でなくて良かった」というものではなく、恐らく「大した遅れにならずに済んだ」と言うことだろう。すぐ列車は動きだし、東京駅には15分遅れで到着した。
 この時に私が面白いと感じたのは、周囲の座席の反応である。緊急停止という事態にも関わらず不安な表情をしている者は皆無であった。ただ時間的な心配をして不安な者は数名いたが(運転再開後に車掌に「何分くらい遅れそうか」と頻繁に問い合わせていた人が)。ただ夕方の上り便なので時間に縛られている人は少なかっただろう、朝の列車だったらもって時間的な問い合わせをする人は多かったに違いない。私も家へ帰るだけだから時間的な問題は全くなく、この程度の遅れは全く影響がなかった(むしろ中央ライナーに接続するようにな帰りの中央線が確実に座れるようになって幸運だったかも)。
 つまり、新幹線は事故を起こしたりしないというのが多くの乗客の「常識」なのである。緊急停車だって大きな事故だからとは誰も思わない。そして何よりも時間通りの運転が当たり前になっているのである。
 あの事故ではその「当たり前」の前提が事故前から崩れていた。ピークは越えていたとはいえ、朝ラッシュの人々が一番焦る時間帯に列車は僅か数分の遅れを出していて、運転士はそれを取り戻すのに必死だった。
 恐らく、乗っていた乗客の多くが僅か数分の遅れに気がついていただろう。大阪駅方面への電車に接続できるのか、待たずに行ってしまえば遅刻という人もいたかも知れない。
 事故原因の根本は、この辺りにあるような気がする。鉄道が時間通りに動くという絶対的な前提、その前提に従って特に朝に分刻みの生活を過ごす現代人。
 こんな忙しい社会から脱することこそ、このような悲惨な事故から逃れる最大の手段かも知れないと感じた。
 誤解しないで欲しいのは、だからといってJR西日本の責任をないがしろにするものではない。JR西日本にはこのような現代人の日常に従って、もっと余裕をもってダイヤを作るという責任が発生し、その実現に向けて動いている。
 電車一本分くらい余裕のある生活をすることが、一般の人ができる唯一の事故再発防止策だろう。



 最後になったが、福知山線脱線事故で犠牲になった多くの人たちの冥福を祈り、事故で怪我をされた方の一日でも早い回復と、マンション住民の一日も早い生活の再建を願って、今回の訪問記を終わりにしたい。

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