はいじまの豆旅行記



いまどきの「夜汽車」
現代の夜行列車について考えた


 ここ何年かで日本の鉄路から夜行列車がどんどん姿を消して行った。今思えば1994年12月、「ブルートレイン」の元祖である博多「あさかぜ」の廃止でこの削減劇が始まったのかも知れない。
 私の旅の記憶を彩る中央本線夜行普通列車、急行「八甲田」「津軽」、紀勢本線夜行普通列車、北海道の急行「大雪」(→「オホーツク」夜行便)「利尻」という庶民的な夜行急行や廉価に乗れる夜行普通列車は当然のように姿を消した。そして私の旅の記憶にある寝台特急列車も「はくつる」「つるぎ」「あさかぜ」「さくら」「出雲」(1・4号)といった列車達が既に鉄路を去った。
 世の中のスピード化、特に航空路線網の進展や新幹線の高速化と言った時代の変化に、JRの夜行列車が着いていけなくなったのは鉄道好きとしても認めなければならない事実である。飛行機より使えないダイヤ、高い寝台料金、そしてほぼ同時間帯に格安の高速路線バスが走り、今やその高速路線バスすら格安ツアーバスの猛撃を受けて窮地に立たされているのが実状でもある。これほどまで夜行対昼間の競争が激しい時代に、今や夜行輸送機関同士で残された少ない客の奪い合いはさらに激しさを増し、旧態然の寝台特急が生きていけるわけもない時代になってしまったのは鉄道好きとしては嘆かわしい事である。
 しかし、JRの寝台特急全部がこのようにして元気が無いわけではない。顧客のニーズを掴み、現在の夜行列車の衰退を感じさせないほど元気な寝台特急も実在する。
 西日本・九州方面への寝台特急の数がめっきり減ってしまい夕方から夜にかけての風情が寂しくなった東京駅、ここからそんな列車のうちのひとつが西を目指す。
 22時ちょうどに9番線から出発する「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」…1998年に新型電車の投入で旧態然とした「ブルートレイン」から脱して夜行列車の新時代到来を「減退」というかたち以外で始めて見せた夜行列車だ。このたび、このうち「サンライズ瀬戸」に乗る機会を得た。
 「サンライズ」に乗ったのは今回が初めてではない、2002年1月に四国での仕事帰りに高松から東京まで「サンライズ瀬戸」に、同じ年の3月には山陰地方での仕事の帰りに「サンライズ出雲」に出雲市〜東京まで全区間通して乗っている。その時の思いも交えながら、今回の乗車で思ったことや、夜行列車について常々考えていることを綴っていきたい。


旅情を誘う案内表示、夜行列車を示す文字には魔力がある。

 私が東京駅に着いたのは21時過ぎ、本屋で本を買ってから地下の喫茶店で時間を潰し、中央コンコースでこの表示を見上げたのが22時40分頃か。「瀬戸」「高松」という漢字にはやはり不思議な魔力を感じずにはいられない、いくら仕事の旅とは言え気分が高ぶるのであった。仕事もプライベートも含めてこんな思いをしたのは久しぶりだ。
 エスカレーターに乗ってホームへ上がるとちょうど列車が入って来るところだった。昔の夜汽車ならばおでこにヘッドライトを輝かせた電気機関車がけたたましいブロワー音とともにホームを通り過ぎ、続いて客車用電源のディーゼルエンジンの轟音が過ぎて行くのが旅情のひとつでもあった。しかし、今はライトの光が低い位置から接近してくる。そしてそこいらの電車と変わらぬ音で窓を上下に整然と並べた背の高い電車が入ってくる、これが21世紀の夜汽車の入線だ。


9番線に「サンライズ」が横付けされる

 上写真を見ていただければおわかり頂けるように、この「サンライズ」を待つ人は平日だというのにかなりの人数に上る。観光旅行へ出かける風情の人から背広を着込んだビジネスマンまでその顔ぶれは多様で、現代の寝台特急の凋落を忘れさせてくれる光景だ。降りる頃に気付いたのだが、半分以上の個室が埋まっていて格安の「ノビノビ座席」などは満席に近い状況だったようだ、今の時代ならば間違いなく夜行列車としては盛況だと言えるだろう。


発車を待つひととき、この緊張感は今も昔も変わらない。

 多少の余裕を持っての東京駅入線だが、やはり今の時代の列車に慣れた人々は慌てるように列車に乗り込んで行く。あっという間にホームにあれだけあった人々の姿は列車に吸い込まれて見えなくなった。私はこの列車に乗るか乗らないかの微妙なひとときを味わいたくて、しばらくはホームを歩いていたがじきにそれもバカバカしくなって3号車の指定された「部屋」を目指すことにした。

ここで「瀬戸」と「出雲」が別れる 貫通幌越しにシンボルマークが…

 私が指定されたのは3号車「ソロ」、「サンライズ」の主力クラスは同じB寝台でも「シングル」であるが、私は敢えて一つ下の「ソロ」を利用してみることにした。過去の利用が「シングル」だったので目先を変えてみようと思ったし、何よりも寝台料金分は経費外なので一円でも安いクラスを使いたい、かといって「ノビノビ座席」の使用は避けたかった、理由は後述する。
 3号車のドアをくぐり、デッキから廊下を見渡す。車両の中央に廊下があって両サイドに個室が並ぶ光景も新たな夜行列車の旅情と見て良いだろう、それもかつての「ブルートレイン」の無機質の廊下とは違う、木目調の内装を用いた落ち着きのあるデザインを意識した廊下だ、この廊下は列車の中でなくホテルの廊下にいるような気分を味合わせてくれる。現代の旅にどうしても必要な演出だろう。


現代の夜行列車に必要なのは「ホテルのような…」なのか?

 指定された部屋に着いて中を見てびっくりした。開きっぱなしのドアの向こうはいきなり階段である。その階段を上った先に人一人分のベッドがあるだけ、これが「ソロ」であった。ただ階段の途中に立つのであれば立って背伸びすることも可能なのは狭いスペースを有効に使った上での配慮なのだろう。私は階上室だったが、まだ空席のままである階下室を覗いてみたら、ドア回りの僅かなスペース以外はベッド、階上室への階段と干渉して立ち上がるスペースもないが、ベッドに入ったときに頭上スペースは確保されているようだった。ベッドに上がり込んで分かったのだが、階上室は車両限界のカーブのため頭上空間が極めて狭いのである。
 入ってみての第一印象は「狭い」だったが、私はこの狭い部屋がなぜか気に入った。最初に乗り込んだときには気付かなかったのでこれは後述することにしよう。
 発車のベルが鳴って22時、定刻に「サンライズ」は西へ向けて滑り出した。列車は都会のビル群の隙間を縫うように走り、今この大都会から抜け出そうとしている。「ソロ」はモーター車だから騒音が心配だったが音もなく静かに走るといった感じである、ただし空調がちょっと寒過ぎに効いているようだが。


ほどなく車掌が検札に来る、車掌が個室のドアをひとつずつ叩く光景も「いまどき」の光景か?

 発車して程なく車掌が検札に来るのも昔と変わらない、個室のドアをひとつずつ叩いて申し訳なさそうにドアの向こうに声をかけ、すまなそうな顔で個室に首を突っ込んで検札する光景を見て「やりくくくなっただろうなぁ」と私に思わせた。いくら今どきの寝台列車が火照る風になったとはいえ、やはり検札は車掌がひと部屋ずつ回るしかないのだ。本物のホテルのように「チェックインしたら後は部屋の中でご自由に」って訳にはいかない、鉄道というシステム上での難しさだろう。
 私は一人で個室寝台を利用するときは、車掌の検札が来るまでは個室の扉を開けっ放しにすることにしている。車掌もその方が声をかけやすいのでないかと思うからだ。
 列車は東海道を西へと向かう、もう夜もすっかり更けているのに追い抜く通勤電車は帰宅客で一杯だ。向こうから見るとこの「サンライズ」はどんな風に映るのだろう? 旅行という非日常の入り口より見慣れた乗れない列車なんだろうな…。


まだまだ通勤客も多い時間だ

 列車は横浜に停車し、暗闇の湘南を走り抜けていた。いつしか夜も更けてきたので私はブラインドをおろして眠りについた。心地よい車輪の音は平日の仕事で疲れた身体をあっという間に眠りに落とした。


 私は正直言うと個室寝台が好きではない。正確に言うと「一人で乗る個室寝台」が好きではないと言うのが正しい。狭い部屋に閉じこもって一人で過ごすのは悪いとは思わないが、何か寂しいというか「なぜ列車に乗ってまでこんな孤独な思いを…」と思うのである。列車というのは元来公共の場であり、多くの人々が接するところである。個室というのはこれに逆行する自分一人の独占空間、多くの人々と接することを拒む空間である。無論「眠る」という行為には多くの人と接する公共性というのはない方が良いわけで、いまどきの寝台列車に個室が増えている理由は、寝台列車に「眠る」機能を重視している客が増えたことでもあろう。対して夜行高速バスは個室形式を取らず、「公共の場」にそのまま人を寝かせる交通機関であり、そのマイナス分を価格低下でカバーしている。
 寝台列車は元来、開放タイプの寝台が主流であった。カーテン一枚だけで公共空間と仕切られたベッドは価格云々よりもその中途半端さが命取りになっていると私は考える。寝台列車にどんなテコ入れをしても個室以外の人気がなかなか復活しない理由はここだろう。その辺りの割り切りを上手に処理したのが「サンライズ」であり、完全個室主体の寝台車と公共空間にそのまま雑魚寝という「ノビノビ座席」という形態はいまどきの人々に受け入れられた。
 私は狭い個室に入ったときの寂しさ、部屋の中から一人で外の景色を眺める寂しさにどうも耐えられない。始めて個室寝台を利用したのは1991年3月、山陽方面への旅の最初に「あさかぜ3号」(当時)のシングルデラックスに乗ったのが最初である。この列車は乗ってから寝る時間が長く、静かな部屋の中にいる孤独感、なのに響く列車の音、これらに耐えられなくなって寝る時間までの殆どをラウンジカーで過ごした経験がある。やっぱ列車の中では話し相手がいなくても他の人の気配がないと旅情が盛り上がらないと頃から感じ、以来寝台列車を利用するときには好んで開放寝台を利用した。そうして相席になった人と語り合い、色々な思い出も生まれた。
 ちなみに同じ理由で「客が自分一人だけの列車」も嫌いである。
 ただ開放寝台には欠点もある、公共空間の真ん中のベッドに寝せられるわけだから、途中の駅で出入りがあったりする列車だとそこで目が覚めてしまいじっくり眠れないこともあることだ。個室だと自分の空間が外界と遮断されるためじっくり眠ることができる。この理由で今回の「サンライズ」乗車もそうだなのが、仕事の特に往路での利用では仕事のための体力作りのためにも個室寝台を利用することにしている。過去の「サンライズ」乗車経験全ても仕事がらみで、仕事帰りだが疲れをとるために「個室の方が…」と判断してシングルルームにした。
 要は私は保守的なのか古くさいのか、趣味的に個室寝台とは仲良くなれず、昔ながらの寝台特急の方が好きなのである。4人1区画でどんな人と相席になるか分からない寝台列車の旅…これに旅情を感じて安心感を感じるのである。今回の「サンライズ」乗車が仕事関係でなく私的な旅だったら恐らく「ノビノビ座席」を利用しただろう。

 私かかつて疑問だったのは、鉄道好きにノスタルジーで寝台特急を追い掛けているのにいざ「乗る」となると個室寝台を狙う人が多いような気がすることである。やはりノスタルジーなら開放寝台であって、このベッドを埋めてやらないことには寝台特急の生き残りの道はないのである。こういう個室寝台ばかり乗っている「エセ寝台特急マニア」は私は一番大嫌いな鉄道好きの人たちである。「男は黙って開放寝台」っていう寝台特急好きの人をあまり見かけない。まぁ着替えや防犯上問題で男性より気を使わねばならない女性はともかく、本当に寝台特急が好きならばもっと開放寝台を愛せよと私は真剣に思う。

 さて、私が乗った部屋はB寝台個室で一番下のクラスである「ソロ」である。以前の「サンライズ」乗車は「シングル」ばかりであったが、一度くらいと思って下級クラスを使ってみることにした。
 乗った第一印象は「狭い」だったが、乗っているうちになかなか機能的なのに気付く。まず寝るために備え付けの寝間着に着替えたときに感じた。入り口からベッドに向かう階段の途中の段に立てば身長174センチの私でもまっすぐ立つ事ができる、つまり着替えが可能なのだ。実は「シングル」だと立つ事はできても手を挙げられないので着替えにはかなり四苦八苦したが、それより狭い「ソロ」では簡単に着替えができたのである。
 さらに階上室限定だが、何とちゃんと独立した荷物置き場があるのである。枕元の頭上、ちょうど階下室の入り口ドアが干渉して出っ張っている部分の上側を荷物置き場として活用している。ここに私の出張荷物ならなんとか入るのだ。ちなみに「シングル」では荷物置き場はベッドと廊下とを隔てる壁の間の狭い空間が指定されていて、荷物置き場がベッドと地続きである。余程小さい荷物でない限りは荷物と一緒に寝ることになり、寝るスペースの一部が削られて不快な思いをするのだ。「ソロ」階上室はこの頭上の荷物スペースのお陰でベッドに荷物が干渉することはなく、ベッドを完全に寝るスペースとして活用できるのである。ちなみに階下室にはこれに該当するスペースはなさそうで、荷物置き場自体ないようだ。
 私はこの狭いが機能的な「ソロ」が気に入った。恐らく今後「サンライズ」の個室に乗る機会があれば、寝台券を買うときにまず「ソロ」階上をリクエストするだろう。まぁそれよりも「シングルデラックス」に乗ってみたいが。

入り口から見たソロ、ここから見るとその「狭さ」だけが目立つ しかし頭上の荷物置き場のお陰でベッド有効活用ができる

 「おはようございます、列車は定刻に運転されております…」の放送で目覚めた、ブラインドを開けるとちょうど和気を通過した辺り、片上鉄道の廃線路後が頭上を乗り越していくのが見えた。
 列車は朝日を浴びながら岡山駅に到着、ここで「サンライズ出雲」を切り離して身軽な7両編成で宇野線を南下する。岡山の市街を抜けるとたわわに実った稲穂が秋の到来を感じさせた。
 やがて児島に停車、ここで乗務員が変わった。列車は瀬戸大橋にかかる、海から反射する朝日が眩しい。
 今の仕事では四国入りは二度目、9月の上旬はいろいろあって自分の愛車を運転して四国まで走ってきた。この時に始めて瀬戸大橋の車道を走ったのだが、車道からの景色は同じ橋なのに鉄道から見るのとまるで違う美しい景色だった。鉄道から見る瀬戸大橋からの風景は鉄格子に囲まれ、その上空が見えずに景色が開けず、せっかくの風光明媚な瀬戸内の風景が沈んで見えるのである。でも車道からは美しい瀬戸内の景気が綺麗に開けて見えた。やっぱ瀬戸大橋の車道じゃないと…と思わされた。ちなみに以前にも愛車で「しまなみ海道」を走った経験があり、今回の仕事では往路は瀬戸大橋経由、復路は明石海峡大橋経由だったので本四架橋3本完全制覇したことになる。私も愛車も。
 そんな事を考えている間に列車は瀬戸内海を渡って四国に上陸、四国最初の停車駅である坂出に到着した。仕事の都合で予讃線方面へ行く私はここで下車した。
 高松方面へ去る「サンライズ」の後ろ姿に、新世紀の夜汽車を見付けた。大きな車体に豪快にシンボルマークを描いたデザイン、今後も寝台特急の牽引役であることを願ってやまない。


瀬戸内海を渡ったところで今回の旅は終わった


追記
驚いたのは、その数日後に乗った上り「サンライズ瀬戸」。
いつの間にかに小田原から茅ヶ崎まで貨物線を回るようになったんだろう…?


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